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論文

 7月1日に、和歌山県と奈良県と三重県にまたがる熊野古道を中心とする「紀伊山地の霊場と参詣道」が世界遺産に登録されることが決定しました。
 この熊野古道は和歌山県にある熊野三山(熊野本宮大社/熊野速玉大社/熊野那智大社)に参詣するための道路です。和歌山県側は主に平安時代から貴族が参詣するために整備された道路ですから、比較的平坦ですが、三重県側と奈良県側は修験道の修行のための道路で大変に険しい道です。
 私も数度、三重県側の熊野古道を歩きましたが、馬越(マゴセ)峠や八鬼山(ヤキヤマ)越え付近は本格的な登山道のような険しさでした。
 この修験道は山岳信仰から発展したもので、古来、日本人は特長ある山を神々の宿る霊山として崇め、その山に登るという形で修行をしてきました。当然、山国日本には多数の修験霊場が存在しています。そのなかでも三大霊場といわれるのが、福岡県の英彦山(ヒコサン)と奈良県の大峰山(オオミネヤマ)と山形県の出羽三山です。
 何週か前の番組で、私は出羽三山の修験道を極めた山伏であると自己紹介をさせていただいて驚いていただきましたが、先週の土曜日から日曜日にかけて再度修行に出かけてきましたので、今日は出羽三山の修験道の話をさせていただきたいと思います。

 出羽三山というのは羽黒山、月山、湯殿山という三つの霊山のことですが、ここは平成5(1993)年に開基1400年を迎えたとされるほど歴史のある修験霊場で、減ってきたとはいえ年間100万人以上の人々が訪問しています。
 そのなかに、ここで本格的に修行する人々も含まれていますが、その修行の中心になるのが毎年8月26日から9月1日の1週間にわたって行われる「秋の峰入」といれる修行です。
 修行の内容は、まず「山駆(ヤマガケ)の行」と言って、毎日、山道を駆け上がり駆け下るという修行です。しかし、もっとも高い月山でも1984メートル程度ですから、登山としてはそれほどではないのですが、なにしろ一汁一菜で、茶碗一杯のご飯と、具の入っていない味噌汁一杯と、タクワン2切れを朝夕食べるだけですから、空腹に耐えるのが修行というほどです。
 大学教授をしていた時代には学生を引き連れて修行に行っていましたが、この一汁一菜が学生にとってはもっとも苦しかったようです。
 さらに夕方には「南蛮燻(ナンバンイブシ)の行」という修行があります。これは締め切った部屋で、火鉢に唐辛子とドクダミと米糠を混ぜたものを焚いて、そこで呼吸をする訓練をします。焚きはじめて10秒もすると部屋の空気が真っ白になるほどの煙ですし、間違って気管支のほうに煙が入ると苦しくて死ぬ思いをする修行です。
 何のためにそのような修行をするのか疑問に思って質問したところ、自然の空気がいかに貴重な存在であるかを理解するためだそうです。確かに、私と一緒に修行に参加した人は、最初の一息でゴホゴホとなり、部屋の外に飛び出して外気を吸っていましたから、自然の空気の新鮮さを実感されたと思います。
 そして最後に日に「火渡りの行」が待ち構えています。これは写真などでよく見かける光景ですが、燃やした薪の上を裸足で渡る修行です。この意図は毎日山道を駆けて自然から生気を受けて甦り、生まれ変わって産湯を使うことだと解釈されています。この修行を終えると山伏ということになるのです。

 この「秋の峰入」を体験したい方は、出羽三山神社が5月1日から受け付けていますので、申し込まれればいいのですが、今年は残念ながら締め切っています。
 定員150名ですが、大変な人気があり、毎年抽選で選ばれるということです。
 外国の大使館の人などが日本の文化を体験したいと修行に来ていますが、修行の案内をする地元の山伏が、日本人の私でも半分も理解できない庄内弁で説明して、外国人がキョトンとしていると「おめら日本の文化さ体験したいといってきて、日本語もわからねでは駄目だ」と怒鳴りつけると、シュンとして修行していますから、日本の文化の力もたいしたものです。

 このような修行をする意味は、出羽三山の場合は「死と再生」といわれており、修行の最初に死んだことになって白装束に身を固め、毎日、山道を歩くことによって自然から生気を与えられて次第に甦り、最後に火渡りをしたり、湯殿山の麓にあるご神体の温泉を渡るのは産湯を使うことだといわれています。
 そのような意味で、これまでの人生を清算して出直したいという皆様は修験道で再生されたら如何でしょうか?





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