TOPページへ論文ページへ
論文

 年末の予算編成を目前にして、現在、三位一体改革が議論されていますので、それについて考えてみたいと思います。
 三位一体という言葉ですが、これは御承知のように「トリタス」といわれる、キリスト教の重要な教義で、『新約聖書』に「父なる神」と「その子であるキリスト」と「キリスト復活のときの精霊降臨祭に遣わされた精霊」は一体であるという謂れからできた言葉です。

 しかし、現在、日本で使われている三位一体という言葉は、そのような宗教的な意味とは懸け離れたドロドロした現実社会で使われています。
 日本の財政制度を改革するために、国の管理している税源を地方自治体に移そうという議論が沸きあがっていますが、そのときに、1)国から地方自治体への補助金の削減、2)地方交付税の見直し、3)税源の国から地方への移譲という3つの政策を一体として進め、財政改革をしようという方針を三位一体改革と言っているわけです。

 この背景には数年前からの歴史があります。
 地方分権という言葉は過去30年ほど使われてきましたが、2000年4月1日から「地方分権一括法」という法律が施行され、これまで国の仕事とされてきたものが地方自治体の仕事に移されました。
 これは結構なことですが、仕事だけ移されても、その仕事をする予算が伴わないということで、地方自治体から反発がありました。そこで、昨年から、国の税源を地方に移すという議論が始まり、それが三位一体改革といわれるものです。
 現状では、国が徴収する国税が60%、地方自治体が徴収する地方税が40%ですが、使用する金額は国が40%、地方自治体が60%と丁度逆転しています。その調整をしているのが、地方交付税と補助金なのですが、そのために地方自治体は国に従わなければならないという構造になっています。
 本来の姿は、国が使う予算は国が税金で集め、地方自治体が使う予算は地方自治体が集めるのが妥当です。
 住民も地方自治体の役所も、自分で集めた財源であれば、自分の地域に役立つように使うという気持ちになりますが、要求すれば、国から補助金が貰えるという仕組だと、貰わなければ損だという気持ちになり、不要な美術館を作ったり、あまり演奏会が開かれない豪華な音楽ホールを作ったりしてきたわけです。
 その結果、現在、国の長期債務が約500兆円、地方自治体の長期債務が約200兆円という膨大な金額になってしまいました。これは一人当たりに換算すると550万円になりますが、いずれは国民が返済しなければならない借金です。
 そこで、地方自治体が自分で集めた財源で自分の地域の仕事をすれば無駄な支出はしないだろうということで、まず第一歩として、国税のうち5兆5000億円を地方税に移し、比率を50%と50%にするという提案がなされました。
 しかし、予算を配分する権限のある財務省や、補助金を配分している各省が反対して、結局、3年間で4兆円の税源を地方自治体に渡すということになったのが現在の段階で、平成16年度に、まず1兆円を地方に渡す予算編成が検討されているところです。

 従来であれば、お上のおっしゃるとおりと一見落着というところですが、最近は改革派知事といわれる威勢のいい知事が多く、まず、前の三重県知事で現在は早稲田大学教授の北川さんは、そもそも「地方に渡すとか譲るという表現自体が国の傲慢さを示している」と噛み付き、岩手県の増田知事や和歌山県の木村知事が反対を唱えるだけではなく、10兆円近くの税源を地方に移すことが可能だという試算を発表しました。
 極めつけは、9月から全国知事会会長になった岐阜県の梶原知事で、まず全国知事会を従来のような陳情団体ではなく「闘う知事会」にすると宣言し、早速、11月には、これまで国から都道府県と市町村に交付されている20兆4000億円の補助金のうち、都道府県へ交付されている6兆4066億円と市町村に交付されている2兆5291億円は補助金を廃止して地方自治体が直接事業をし、そのために地方へ約8兆円の税源移譲が可能だと提案しています。

 先週の12月3日に、岐阜県の多治見市で梶原岐阜県知事、増田岩手県知事、木村三重県知事と一緒に「地域自立シンポジウム」を開催しましたが、梶原知事などは「これは国と地方の百年戦争だ」と宣言されました。確かに、明治政府が中央集権国家を確立してから135年目ですから、本当に地方の時代を目指す100年戦争だと実感します。





designed by BIT RANCH / DEGITAL HOLLYWOOD
produced by Y's STAFF
Copyright(c) Tsukio Yoshio All Rights Reserved.