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論文

 来年1月から2月にかけてケープホーンという南米大陸の最南端にある岬をカヌーで航海するための事前打合に、先週10日間ほど、チリの南端にあるプンタアレナスという都市に行ってきました。
 おかげでボジョレ・ヌーボーは飲みそこなったのですが、チリの美味しいワインを堪能してきました。特に現地の三菱商事の方々がケープホーンのスペイン語である「カポ・デ・オルノス」という名前の有名なワインを用意していただき、心意気としてはケープホーンを飲み干したというところです。

 プンタアレナスというのは人口12万人程度の比較的大きな都市で、マゼラン海峡に面しており、1520年10月にマゼランが大西洋と太平洋を連絡するマゼラン海峡を発見して以後、二つの海を結ぶ中継地点として繁栄していました。しかし、1914年にパナマ運河の通行が開始されてからは、太平洋と大西洋の距離が1万6000キロメートルも短縮され、マゼラン海峡を通行する船も一気に減ってしまい、かつての栄華はありませんが、目の前の幅30キロメートルはある海峡を眺めると、500年ほど前の新大陸発見時代を想像して感慨が沸いてきます。

 日本で似ている都市を探すと北海道の函館か根室のような感じで、坂道があり、その上から海峡が眺められるのですが、海峡を吹き抜ける風が強く、滞在していた間も毎日のように秒速25メートル以上の風でした。
 そこの海軍の総司令官に、このような強風が毎日吹くのかと尋ねたら、今日は穏やかだと言われ、本当にカヌーで航海できるのかと心配になってきたところ、日本にはもっと凄い台風があるから、日本人なら心配しなくてもいいと言われ、さらに不安になって帰ってきたところです。

 そのマゼランが海峡を通過したとき、左手、すなわち南側にティエラ・デル・フェゴ、日本語でフェゴ島という島を見ながら航海したのですが、今日はここにかかわる民族の話をさせていただこうと思います。
 ティエラはスペイン語で「土地」、フェゴは「火」ですから、「火の土地」という意味ですが、航海中に島の断崖の上に多数の松明が燃やされていたことから名付けられました。
 ここは島といっても4万8000平方キロメートルもあり、日本の九州より広いのですが、かつてはヤーガン族、アラカルフ族、オナ族という3種類の狩猟民族が生活しており、1520年に通過したマゼランも、1832年に「ビーグル号」に乗船していた生物学者のチャールズ・ダーウィンも接したことのある人々でした。
 20世紀の初頭に、布教のために渡来した宣教師が撮影した多数の写真が残っていますが、普段はグアナコというラマのような動物の毛皮を着ていますが、裸の身体全体に様々な模様を描いたりもする風習がありました。
 しかし、19世紀末からヨーロッパ人が羊の放牧のために入植してきて土地を奪われ、また疫病が流行してほとんど絶滅してしまいました。

 今年の5月に訪問した世界の最南端にあるプエルト・ウィリアムスという町にも、数十人の先住民族が生活している集落がありますが、この人々はヤマナという民族の末裔です。
 名前からも日本人に近そうですが、実際に、ヤーガン族の写真や出会ったヤマナ族の人々の顔はモンゴル系で、現在の日本でもいくらでもあるような顔です。
 それは当然で、これらはイギリスの考古学者ブライアン・フェイガンが「グレート・ジャーニー」と名付けた民族大移動をした人々の末裔だからです。400万年ほど前にアフリカで誕生した人類がアジア大陸に次第に進出し、4万年前から1万年前にベーリング海峡を横断して北米大陸から南米大陸へ移動していったわけですが、その途中で日本列島に到着した一部が日本の縄文人といわれ、実際、日本の縄文人ともっとも遺伝子が類似しているのは、アンデス山脈に生活しているインディオだという調査結果があるほどです。
 また、アリューシャン列島に定住したアリュート民族、アラスカからグリーンランドに到着したイヌイット民族、南米大陸の南端まで到達したチャンゴ民族もアザラシの皮で作ったカヌーを操っていたという記録が残っておりますので、私の祖先であることは確実ではないかと思います。

 ヤーガン族やヤマナ族と同様に、近世や近代に発展した国々から人々が進出してきたことによって衰退していった民族を先住民族(インディジーナス・ピープル)といいますが、現在で南米大陸に2000万人、中南米に1300万人、北米大陸に180万人が生活していますし、世界では2億人から3億人になると推定されています。
 これらの民族は近代社会のなかでは「未開民族」とされ、19世紀にはヨーロッパの博覧会に連れて行かれたり、奴隷のような労働をさせられたりしていますが、そのような状態を記録した写真を眺めると、近代という社会が目指した発展とは何かということを再考しなければならないと思います。





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