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論文

 本日、5月8日は「赤十字の日」です。
 赤十字はスイス人のアンリ・デュナンが創設した組織ですが、そのデュナンの誕生日が1828年5月8日であることから、今日が記念日になっています。
 デュナンはアルジェリアで製粉会社を設立しようとして、その水利権の許可を得るため、1859年の31歳のときにナポレオン三世を追ってイタリアに行ったのですが、丁度、オーストリア軍とフランス・サルディニア連合軍が戦った6月24日のソルフェリーノの激戦の翌日6月25日に戦場に到着し、多数の人々が負傷しているのを目撃しました。
 オーストリア軍の負傷者が2万3000人、フランス軍が1万2000人、サルディニア軍が5500人という大変な人数でした。
 そのような負傷者を敵味方の区別なく救護するための組織を結成しようと奔走し、1863年に赤十字規約、翌年の1864年に赤十字条約といわれるジュネーブ条約が15カ国によって調印され、成立しました。

 さらにデュナンは1863年10月26日から29日にジュネーブで開催された赤十字設立のための国際会議のため、自費で2ヶ月間もヨーロッパを回り、各国の皇帝や元首の説得に没頭するなど努力していたために、自分の製粉会社は1869年に倒産してしまいました。
 その代わりといっては失礼ですが、1901年にノーベル平和賞の最初の受賞者に選ばれることになりました、
 デュナンは1844年に設立されたYMCAの創設にも参加し、1910年に83歳で亡くなりましたが、世界に貢献した人だと思います。

 日本にも1887年に日本赤十字社が設立されていますが、その前身は似たような経緯で出発しています。
 1877(明治10)年に九州で「西南の役」が勃発し、戦場で多数の人々が死亡したり負傷したりしていますが、それを見た佐野常民(さのつねたみ)と大給恒(おぎゅうゆずる)が負傷者の手当てをするために博愛社を設立し、さらに1886年にジュネーブ条約に加盟するように政府に働きかけて、翌年に日本赤十字社が設立されました。

 戦争の悲惨さに対する人間の感情は古今東西同じですが、それを示すエピソードがあります。
 1823年にドイツから来日したシーボルトという医者は日本の医学教育に貢献した人ですが、1828年のシーボルト事件によって1830年に国外追放になってしまいます。帰国するときに国外持ち出し禁止の地図などを持ち出そうとして追放されたわけですが、彼は1856年に再度、長男のアレキサンデルと一緒に来日し、その後で次男のハインリッヒも日本に来ているのですが、二人とも日本赤十字の社員になっています。

 赤十字の印は白地に赤い赤十字ですが、これはデュナンの母国スイスの国旗の地と模様を反対にしたものです。
 ところが十字といえば、キリスト教のシンボルですから、イスラム教にとっては納得できない模様になってしまいます。
 そのためイスラム教の国々には赤十字社はなく、代わりに赤新月社という組織がありますが、記号はイスラム教を象徴する三日月を白地に赤で描いたものです。
 統合して国際赤十字という名前が使われますが、これは赤十字国際委員会と国際赤十字。赤新月社連盟と各国の赤十字社、赤新月社を一緒にした名前です。

 今回のイラク戦争のように、キリスト教国とイスラム教国が戦争すると複雑ですが、興味深いエピソードがあります。
 ヨルダン川西岸のように二大一神教が対立しているような地域で救急車に赤十字を描いておくと、イスラム教徒の負傷者は乗らないということが起こりえます。そこで、そのような地域には十字と新月の両方を組合わせた模様を描いているというわけです。
 赤十字活動には人道、公平、中立、独立、奉仕、単一、世界性という7つの基本原則がありますが、これは国籍、人種、宗教、思想などで差別せずに救済するということですから、国旗の模様で活動ができないということでは困りますので、知恵を絞ったというわけです。





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