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論文

 この4月1日に静岡市と清水市が合併した人口70万人の新しい静岡市や、はじめてのカタカナの名前の南アルプス市が誕生しましたが、最近の合併の流行は平成の大合併といわれ、近代の日本では3度目の大合併です。
 最初は明治の大合併で、明治21年に71314あった市町村が翌年には15859と5分の1近くになりました。
 次は昭和の大合併で、昭和28年には9868あった市町村が昭和31年には4668と2分の1になりました。
 そして現在進行している平成の大合併では、3200程度の市町村が2000以下になると期待されています。

 それぞれの大合併には理由があるのですが、今日は合併によって発生する、ある問題を考えてみたいと思います。
 長野県に更埴(こうしょく)市という都市があるのを御存知だと思います。長野市の南側にある人口4万人弱の都市で、昭和の大合併によって昭和34年に誕生しました。この更埴というのは意味がわからない名前ですが、当時、合併した町村が更級(さらしな)郡と埴科(はにしな)郡に属していたので、それぞれから一文字ずつ取って合成した名前です。したがって、更埴という単語には意味がありません。
 ところが今年の9月に、この更埴市に埴科郡戸倉町(とぐらまち)と更級郡上山田町(かみやまだまち)が一緒になることになり、新しい市の名前をどうするかが議論となり、現在の「更埴市」と新しい名前の「千曲市」が候補になって住民アンケートをした結果、17580票と19346票となり、1766票の差で千曲市になってしまいました。
 更埴という名前は意味がないとは言え、二つの郡の名前から一文字ずつ取ったという意味はあったのですが、それさえも合併で消えてしまうわけです。

 このような名前の消滅は、これまでの大合併でも発生しています。日本には、秋田県と山梨県に昭和町、福島県と群馬県に昭和村という地名がありますが、昭和時代に合併したためにつけた名前です。また群馬県に六合と書いて「くに」と読む村がありますが、6つの村が合併したために付けられた名前です。秋田県には神岡という町がありますが、これは昭和の大合併のときに、神宮寺町と北楢岡村が合併したので、一文字ずつ集めて創った名前です。
 それぞれ苦労があるのですが、名前に込められた歴史が消えていくのは問題だと思います。

 さらに名前の大絶滅が起こったときがあります。昭和37年5月10日に「住居表示に関する法律」が制定され、郵便配達などの便利のために町名を統合が推進されました。石川県の金沢市は住居表示改正のモデル都市とされたために、930程度あった町名のうち約520が消えて、410に整理されてしまいましたし、東京都台東区でも117あった町名が34にまで減ってしまいました。一時の合理化のために、各地の歴史が消滅したのです。
 そこで最近、その復活運動が各地で発生しています。金沢市では1999年に主計(かずえ)町、2000年に飛梅(とびうめ)町と下石引(しもいしびき)町の3つが復活しました。
 主計町は茶屋街として有名ですが、江戸時代に富田主計の屋敷があったので、この名前になったのですが、町名改正によって隣接する尾張町に名前が併合されてしまいました。
 飛梅町は、これまで石引3丁目でしたが、飛梅は家臣の前田氏の家紋が「角の内梅輪(かくのうちばいりん)」に由来するもので、明治2年以来の名前なのです。
 また石引というのは想像できると思いますが、金沢城の石垣を構築する石を戸室山から引っぱって来た道筋にあった町から名付けられた名前です。

 こういう由緒ある名前を復活させようと各地で活動が活発ですが、明治以来、合理化精神を推進していくなかで、様々なものを捨ててきたのですが、そのように捨ててきた固有の文化とか伝統ある名前などを見直す動向が重要になってくると思います。





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