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論文

 役人生活を1年間、経験しましたが、自分の考えが行政に反映されるという意味では働き甲斐がある仕事でしたが、問題は窮屈ということです。
 霞が関では優秀な人が数多く働いていて、一緒に仕事をするのは得難い経験でしたが、組織としての行動や発言をしなければならず、これまで放言ばかりしてきた生活との格差がありすぎて窮屈でした。
 総務省でIT政策を担当していたのですが、役所の若い官僚とした仕事の話を紹介させていただこうと思います。
 役所に入って感じたことは、優秀な大学を優秀な成績で卒業した人が集まっているのですが、議会対策とか、全国からの陳情への対応とか、目先の仕事が非常に多く、その優秀な才能を生かせないまま、日常業務に忙殺されているというのが実感でした。
 そこで、長期的な政策を検討しようということで、十数人の若手の官僚に集まってもらい、百年先の日本がどうあるべきかを検討する会を設けて、毎週1回ほどの割合で、仕事が終わったあと議論をしてきました。

 明治時代に若い人たちが将来を議論して日本を発展させてきたように、新鮮な発想で現在の閉塞感のある日本を変える政策を健闘しようと意気盛んで、題名も「日本百年の転換戦略」という勇壮なものにしました。
 日本は来年あたりから人口が増えない社会になりますが、これまで人口が増える社会の政策ばかり検討してきたので、人口が減る社会の政策がありませんでした。そこで、人口が減っても国家が発展し、国民が幸福になる社会を検討しようとか、外国の先進事例を見習って、それを導入することに熱心のあまり、日本固有の文化を軽視する風潮がありすぎるので、それを尊重する社会をつくろうとかという大転換を目論んだものです。
 人口が減っても国家は発展できるかについては、作家の堺屋太一さんが経済企画庁長官のとき、人口が減っても発展した国家を調査しようという委員会を作られて研究されていました。ところが、その報告書が発表されないので、あるとき堺屋さんに尋ねたら、あれは発表しないことにしたということでした。やはり、人口が減っても発展した国家はほとんどないという結論になったからです。

 そこで、我々が議論したのは価値基準を変えればいいのではないかということです。これまでは一律の尺度で発展とか幸福を評価してきたので、増えれば幸福、減れば不幸と感じたのですが、人それぞれの価値観で評価すればいいのではないかということです。
 90年代前半に、経済企画庁が「新国民生活指標」というものを発表しました。これは8分野の指標の点数を合計して、47都道府県の順番をつけたのですが、上位になった県も実感がないし、下位になった県は怒って不評でした。
 上位になったある県は、生活に余裕があるということで評価が高かったのですが、よく調べてきると失業率が高いので、時間に余裕があるからだという笑い話さえあるほどです。
 そこで堺屋経済企画庁長官が「これは身長と体重と視力を足したようなものだ」という名言で中止しましたが、これが従来の社会の価値観の代表だったのです。

 どのように変えればいいのかについて、実例を紹介します。昭和30年代にピアノブームが発生し、どの家庭も競争でピアノを買ったのですが、一律の価値観だと買えない家庭は不幸になってしまう。そこで、隣がピアノなら我家は尺八だと発想の転換をすればピアノを買えなくても問題はない。それどころか、西洋かぶれの音楽よりは、日本の伝統音楽をたしなんでいると考えれば自慢できるというわけです。
 トルストイの『アンナ・カレーニナ』に「幸福な家庭はどこも一様であるが、不幸な家庭はそれぞれ違う」という言葉がありますが、これからは「不幸な家庭はどこも一様であるが、幸福な家庭はそれぞれ違う」を目指そうというわけです。

 百年先の社会を目指す提案を参加者に提出してもらったのですが、最初はすぐにでも来年の予算として要求できるという内容ばかりでした。これは毎年、来年の予算要求に知恵を絞ってきたのが習性となっているので仕方がないことですが、流石、優秀な官僚ですから、回を重ねるごとに、様々な提案が出てきて、『日本 百年の転換戦略』という本にまとめることができました。





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