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論文

 先週末の三連休は久しぶりに釧路湿原のなかの釧路川をカヌーで下ってきました。11月後半なので、普通ですと寒いのですが、たまたま私の滞在していた間だけ異常に暖かく、風もほとんどなく、快適な川下りでした。
 この季節は渡り鳥の渡来する頃で、多数のガンやカモなどに出会いましたし、樹上にはオジロワシも見かけました。また、塘路湖やシラルトロ湖という沼には白鳥もすでに飛来してきていました。湿原のなかをカヌーで進んでいくと、遠方に阿寒の山々が見えたりして、よく、このような環境が残されてきたと感動します。
 しかし、時代とともに湿原は減少しています。明治以前には、現在の10倍以上はあったと推定されていますが、明治以来、周辺から次第に干拓されて、現在では約300平方キロメートル、東京23区の半分程度しか残っていません。
 しかし、昭和40年代には大変な危機がありました。田中角栄首相が昭和47年に『日本列島改造論』を発表し、日本各地に大工業地帯を作るという計画を発表したのですが、その一環として釧路湿原も大幅に埋立て、農業や工業に利用しようという構想があったのです。地元でも賛成と反対の大論争になりましたが、幸運なことに、翌年にオイルショックとなったことと、環境保護派の方々の努力により国立公園になり、現在の状態で残ることになったというわけです。

 湿原には浅瀬とか干潟とか沼地など色々な種類がありますが、もっとも分かりやすい定義は「ピカピカの靴が泥で汚れてしまうので立ち止まるところ。そこから先が湿地である」という内容で、有名な学者の説明です。
 そのような湿原を保護するのは多数の生物が生育できるということや、周辺から流れ込んできた水を浄化するという役割も重要ですが、今回、多数の渡り鳥を眺めてきましたので、その役割について話をさせていただきたいと思います。

 渡り鳥はシベリアや中国の東北部が冬になると飛来してきて、日本でそのまま越冬するか、ここで休憩して、さらに南の方に飛んでいきます。ですから、その休憩場所として重要というわけです。
 その目的のために、ラムサール条約という国際条約が制定されています。ラムサールというのはイラン北部のカスピ海に面した小さな町ですが、1971年、ここで自然保護についての会議が開催され、自然保護については最初の国際条約であるラムサール条約が制定されました。正式には「特に水鳥の生息地として国際的に重要な湿地に関する条約」という名称で、水鳥の生息のために世界の湿地を保護しようという目的です。
 この会議には18カ国が参加しただけでしたが、30年が経過した今年2月の段階では、123カ国が加盟し、登録された湿地は1060箇所になっています。5年前の1996年には、93カ国で837箇所でしたから、世界の関心が急速に高まっていることが分かります。

 登録されている面積は53万平方キロメートルで、日本の面積の1・5倍近くになります。それらの中で最大の湿地は、南米のブラジルとボリビアとパラグアイの国境にあるタクアリ湿地、通称パンタナールといわれる場所で、湿地全体の面積が23万平方キロメートル、これは本州の面積と同じ、ラムサール条約に登録された面積だけでも1878平方キロメートルで、釧路湿原の登録面積78平方キロメートルの24倍です。いつもながら世界の規模はすごいものです。

 日本は1980年に加盟し、その年に日本で最初に登録したのが釧路湿原です。その後、日本でも関心が高まり、現在では以下の11箇所が登録されています。
   釧路湿原(北海道:1980年/7863ヘクタール)
   伊豆沼(宮城県:1985年/559ヘクタール)
   クッチャロ湖(北海道:1989年/1607ヘクタール)
   ウトナイ湖(北海道:1991年/510ヘクタール)
   霧多布湿原(北海道:1993年/2504ヘクタール)
   厚岸湖・別寒辺牛湿原(北海道:1993年/4896ヘクタール)
   谷津干潟(千葉県/1993年:40ヘクタール)
   片野鴨池(石川県/1993年:10ヘクタール)
   琵琶湖(滋賀県/1993年:65602ヘクタール)
   佐潟(新潟県/1996年:76ヘクタール)
   漫湖(沖縄県/1999年:58ヘクタール)

 東京湾でも三番瀬の干拓を千葉県の堂本知事が白紙撤回すると決定しましたが、このような背景があるわけです。
 東京湾は海岸沿いには湿地が延々とあったのですが、戦前に37平方キロメートル、戦後に200平方キロメートルを埋立て、干潟の90%を埋立ててしまいました。
 それらは工業用地や住宅用地として役に立ったのですが、自然環境の視点からは損失だと思います。最後に残ったのが三番瀬なので、堂本知事の決断は立派なことです。

 最近では、湿原の復元まで始まり、釧路湿原では、かつて木材を運搬するために直線の運河にしてしまった釧路川を、再度、蛇行させる「釧路川蛇行復元工事」の調査が進み、今年度中に1・4キロメートルを着工する予定で、時代は完全に変わったということです。





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