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論文

 今週は植物の種子についての動向をご紹介したいと思います。
 あまり大きく報道されませんでしたが、今月1日に戦後の日本の農業にとって重要な役割を果たしてきた法律が廃止されました。
 「主要農作物種子法」という1952年に制定された法律について、役割を終わったという判断で政府の規制改革推進会議で議論され、昨年3月に国会で廃止が決定、今年4月に廃止になったものです。
 わずか8か条からなる法律は戦後の食糧難を背景に、食料増産のために「イネ、オオムギ、ハダカムギ、コムギ、大豆」という主要作物の優良な種子の生産と普及を国の役割とし、具体的な品種の選定、種子の生産と供給を都道府県の責任で推進することを定めたものです。
 しかし、法律制定から60年以上が経過し、国家だけが主要作物の種子を管理する時代ではなく、民間企業が参入するべきであるという意見が登場して来たのです。
 これはJAグループを解体なども含めた「戦後体制(レジーム)からの脱却農政」の一環として一気に実行された改革です。

 これによって「戦略物資である種子・種苗について、国は国家戦略・知的財産戦略として、民間活力を最大限に活用した開発・供給体制を構築する。そうした体制整備に資するため、(これまでの)地方公共団体中心のシステムで、民間の品種開発意欲を阻害している主要農作物種子法は廃止する」ということが廃止の理由となっています。
 種子の改良や生産に民間企業が参入して競争が実現するという説明ですが、生活の根幹である主要農作物の生産を経済原理中心に転換することには反対もあります。
 例えば、巨大な多国籍企業が種子の開発や供給を独占する、それにより種子の価格が左右される、農作物の多様性が失われる、国家の食料主権が脅かされるなどの反対意見が数多く出てきています。

 確かに主要農作物種子法の廃止を決めた時の付帯決議には、都道府県の取組が後退しないように地方交付税を確保する、主要農作物種子が国外に流出することなく適正な価格で生産されるよう努力する、特定の事業者による種子の独占によって弊害が生じないようにするなどと書かれていますが、実効性があるかは不明です。
 実際、1980年代のイギリスのサッチャー政権が推進した民営化政策によって、公的育種事業を担ってきた研究機関が民間企業に売却され、それ以前はコムギの80%が公的機関の品種でしたが、現在ではほぼ100%が民間企業の品種に置き換わっている例があります。

 そこで、種子を確保することが如何に重要かについて、歴史を遡って調べてみたいと思います。
 ロンドンの南西部にある「キューガーデン」は18世紀末に植物園として建設され、現在では世界文化遺産にも登録されていますが、世界の珍しい植物を集めて展示するとともに、世界各地から集めた資源植物を育成して、それを植民地に移植して新産業とすることが重要な目的の一つでした。
 実際に中国から採取した茶の木を植民地であったインドのダージリン地方やセイロン(現在のスリランカ)で栽培したため、中国の輸出産業であった茶の生産に大打撃を与えていますし、アマゾン川流域から盗んできたゴムの木をマレー半島に移植して南米のゴム産業に大打撃を与えています。
 さらに1996年からはキューガーデンに「ミレニアム種子貯蔵プロジェクト」の拠点が設けられ、イギリスの植物の90%の種子を貯蔵し、2020年までには世界の植物の25%の種子の保存を目指しています。

 アメリカはコロラド州に「国立遺伝資源保存センター」を設立し、植物だけではなく、家畜、昆虫、水生生物などの遺伝子を収集保存していますが、それだけではなく、1943年にロックフェラー財団が支援してメキシコに「国際トウモロコシ・コムギ改良センター」を設立し、世界中からトウモロコシとコムギの種子を集め、1960年にはロックフェラー財団とフォード財団の支援により、フィリピンに国際イネ研究所を設立し、世界中のイネの種子を集めています。
 これによってアメリカは世界三大穀物(コメ、ムギ、トウモロコシ)に強い影響力を持つことになりました。
 さらに2008年にはマイクロソフトの創業者ビル・ゲイツが主導して世界中の植物の種子を貯蔵する「スヴァールバル世界種子貯蔵庫」がノルウェーのスピッツベルゲンに建造されています。
 この施設の正式名称は「あらゆる危機に耐えられるように設計された終末の日に備える北極種子貯蔵庫」と名付けられており、現代の「ノアの箱舟」を目指した施設です。
 その目標は気候変動、自然災害、病気蔓延などにより農作物が絶滅しないために450万種の植物の種子を各品種につき500粒ずつ保存することで、その種子が発芽状態を維持するために20年ごとに新しい種子に交換するとしており、すでに50万種以上を貯蔵しています。
 なぜ北極圏の孤島に設置したかというと、種子を低温で保存するためで、庫内はマイナス18度から20度に保たれていますが、もし冷却装置が故障しても永久凍土層により、マイナス4度には維持可能ですし、地球温暖化によって海面が上昇することも想定して海抜120mの岩盤内部に保管してあります。

 日本も決して対策を進めていないわけではありません。
 1985年に「農林水産省ジーンバンク事業」が始まり、筑波研究学園都市に農業生物資源研究所を設立し、20万種以上の植物の遺伝資源を保管しています。
 いずれも世界のために生物資源を保存するという名目ですが、裏側にはイギリスやアメリカの食料戦略が存在するとも噂されています。
 実際、スヴァールバル世界種子貯蔵庫には世界有数の種子企業であるアメリカのモンサント社やスイスのシンジェンタ社が資金を提供しており、そのような巨大企業による影響を非難する団体もあります
 このような壮大な計画と比較すると、日本の主要農作物種子法の廃止がささやかに思えてしまいますが、日本の食料確保の基礎である種子の維持については改めて考える必要があると思います。





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