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論文

 転換に成功したキューバを手本

 探検家松浦武四郎の記録への執念は尋常ではなく、全国各地を旅行するごとに詳細な日誌を記録して上梓し、その分量は生涯に一八○巻以上にもなっている。その内容も克明な旅程のみではなく、各地の詳細な地名はもちろん、景観から食物、現地の人々の生活の様子から使用している道具、さらに蝦夷の探検の場合は、集落ごとのアイヌの人々の名前まで記録している。そして表現も、文字のみではなく、地図や版画など多様である。

 安政五(一八五八)年の二月、松浦はアイヌの人々に案内されて、石狩川河口部から石狩川沿いに北上し、まず旭川(チクベツ番屋)に到着した。そこから南下して富良野盆地内を通過して東方に方向を転換、富良野岳付近で十勝山系を横断し、三月には十勝平野に到達している。そのときの様子も詳細に記録され、万延元(一八六○)年に『東西蝦夷山川地理取調紀行・十勝日誌』として出版されている。

 現代のような登山装備がない時代、そして現在よりは全体に寒冷であった時代に、厳冬の十勝山系を横断する勇気に感嘆するが、「寒気は一層過酷になり、山間にピンピンという鋭利な音響がする。アイヌによれば、樹木が凍結して炸裂するためである」とか「気温が上昇して河川が増水し、畳数十枚の氷塊がとうとうと流下していく」など、最近では経験しない当時の冬山の様子が日誌に記録されている。

 しかし、記録に執念のある松浦は、このような状況にもかかわらず、アイヌの人々が利用している薬草とそれぞれの効能についても詳細に記載している。風邪にはウヘフ、眼病にはヘフレキナ、胸痛にはホラフ、腫物にはサラベヲ、梅毒にはシンルシ、腹痛にはカモイノヤ、鼻血にはホンライタ、寒邪にはオマウクシウニなど二○種類以上の薬草の名前を列挙し、アイヌの人々が日常生活で利用している方法も記録している。

 これらの薬草の一部は、ウヘフはイブキボウフウ、ヘフレキナはシコン、ホラフはヤマシャクヤクなどと同定されているが、現在では薬草として完全に過去の存在である。それは明治以来、西洋医学が中心になったためであり、最近の日本では漢方薬品の売上は全医薬品の一割から二割という程度でしかない。しかし、様々な分野で伝統文化が見直される時代になり、医薬の分野でも漢方を再度評価する動向になりつつある。

 そうであれば、アイヌ民族の伝統の知識を活用しながら道内で薬草の栽培をして、新規の一次産業として育成することも検討の価値がある。現在とは比較にならないほどわずかな人口密度の時代には薬草の利用が可能であっても、大量の薬品を必要とする現代には無理だという反論が当然ある。しかし、そのような意見には、現代になって薬草を大量に利用するように方向変換した国家が存在することを紹介したい。

 キューバである。この人口一二○○万人程度の島国は、一九五○年代の革命によって独立して以後、フロリダ半島の眼前にあるという地理条件から、冷戦時代の期間、ソビエト連邦の手厚い保護のもとで経済活動を維持してきた。海外への資源依存比率が、小麦や豆類は全量、魚類は四割、農薬や飼料もほぼ全量、機械は八割であり、主要な国産の物資はサトウキビから生産する砂糖だけという異常な事態であった。

 ところが一九九一年一二月にソビエト連邦が崩壊し、それを好機とばかり強化されたアメリカの経済制裁により、必要な物資がほとんど入手できないという緊急事態に直面することになった。当時の備蓄の状況は、コメはゼロ、豆類は必要な分量の半分、粉末ミルクは二割というのが実態であった。もちろん、石油も工業製品も、そして化学薬品も完全に欠乏する状態となり、そこで開始されたのがあらゆる分野での自給作戦である。

 まず都市内部にある空地という空地を農地に転換し、市民各人が自分で必要とする野菜や穀物を栽培するようにした。人口約二二○万人の首都ハバナの面積の四割が農地に変貌し、現在では野菜は完全自給、食糧は三割を自給できる状態になっている。参考までに日本の首都東京の食糧自給比率は一%である。そして薬品についても中国の指導によって国内で薬草を大量に栽培し、現在では必要な薬品の二割を薬草で供給している。

 キューバの医療は、ある意味で日本より進歩している。国民千人あたりの医師の人数は日本が一・九人、キューバは五・九人であり、しかもキューバでは医療はすべて無料である。巨大な製薬会社が存在している日本で、このような転換は簡単には実現できないであろうが、自然治癒などへの関心が向上している時代に、道内を薬草の一大産地とする農業政策も検討の価値は十分にある。



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