TOPページへ論文ページへ
論文

 世界で出版される年間の書物の点数では英語の割合は三割以下であるが、インターネットの世界で流通している言葉の八割以上は英語である。戦後、日本で発売された流行音楽のシングルレコードの上位一○○位のうち、演歌は八曲しかなく、それ以外は洋風の音楽である。アルバムレコードになると演歌は完全に駆逐されているだけではなく、一○○位までのうち、英語の題名が九五にもなっている。アメリカではなく日本国内のことである。

 文化の世界だけではなく自然の世界でも西洋の侵攻は急速である。日本ミツバチは収集する蜂蜜が少量ということから、明治時代にアフリカ原産の西洋ミツバチが輸入され、現在では西洋ミツバチが大半になっている。同様に、発芽能力の強力な西洋タンポポのために、在来の日本タンポポは侵略され、最近では貴重な植物になりつつある。全国各地ではブラックバスなどの外来の魚種がフナなどの固有の魚種を駆逐しつつある。

 これらはある意味で、明治時代に提唱された脱亜入欧や文明開化という目標の成果である。文化の側面では、和服を洋服に、和髪を洋髪に、邦楽を洋楽に、和算を洋算に転換してきた政策の成果であるし、自然の分野では生産効率の高度な生物を警戒もなく輸入してきた成果である。そして現在でも、経済制度や行政制度の分野で、この西洋崇拝の傾向は継続し、その成果により日本の銀行も証券も保険も壊滅状態になりつつある。

 このような一極集中や一種覇権は便利な側面もあることは否定できない。世界の言語が英語で統一されれば、煩雑な翻訳や通訳は不要になる。和算よりは洋算のほうがコンピュータ処理に適合している。静謐な邦楽よりは喧騒な洋楽のほうが刺激は強力である。西洋の生物のほうが蜂蜜などの製品の生産効率は増大する。効率とか利便とか快楽という視点では、洋物のほうが優秀であることは事実であるが、そこには重要な欠陥がある。

 現在、IT時代とか情報時代といわれる社会が急速に進展している。この社会の主役である情報の本質は相互に相違しているというところにある。類似の音楽や小説の第二番目には価値がないだけではなく盗作になってしまう。そして、相互に相違している存在が多数あることが結果として多様な社会を実現することになり、それが情報社会の目指す状態である。したがって上記の一種覇権は社会を画一で貧弱なものにしてしまう。

 これまで島嶼は漁業基地とか観光拠点として重要な役割を分担してきたが、最近では沿岸から二○○海里の経済水域を確保する役割でも重視されている。微々たる面積の沖の鳥島が国家にもたらしている経済水域は約四三万平方キロメートルであり、日本の国土面積以上である。しかも国連海洋法条約では地質が連続していれば、沿岸から三五○海里まで大陸棚として承認されることになっているから、ますます役割は重要になる。

 そのような実利は有人と無人の区別なく、島嶼の重要な価値として今後も確保していかなければならないが、これからの情報社会を見通すとき、有人の離島が維持してきた多様な文化という資産を現在以上に評価していく必要がある。およそ三○○藩が地方分権体制で日本を構成していた江戸時代以前は、交通手段が制約されていたことも手伝って、言葉、住居、食事、衣服、作法など地域ごとに独自の文化が維持されてきた。

 しかし、明治時代になり中央集権国家確立のため、言葉も教育も統一され、大量生産の工業製品が衣服や住居を均一にし、戦後に普及したテレビジョン放送が趣味も街並も画一の方向に推進してきた。その象徴が全国各地のアーケードで化粧され○○銀座と名付けられた商業施設である。この貧弱な画一の文化を豊穣で多様な文化に再生しなければならないが、その源泉となりえるのが幸運にも画一の大波から隔離されてきた離島である。

 シーカヤックを趣味としている関係で、全国各地の離島に頻繁に旅行しているが、そこでは都会の貧弱な生活を嘲笑うかのような豊穣な文化を経験する。貴重な海鳥の繁殖場所である北海道天売島では、漁師の親方がサザエやアワビを無償で提供してくれ、不幸な津波の被害で有名になってしまった北海道奥尻島では、災害で閉鎖されている道路を迂回するために島民の夫妻が深夜に遠路を先導してくれるという人情も経験した。

 沖縄県西表島では、自然と人間とが共生してきた歴史を背景にした環境保全についての明確な意見を地域の識者から拝聴し、長崎県伊王島では大胆な観光開発を推進している町長から離島が自律する意気を教示いただいた。その長崎の九十九島では佐世保市の有志が無人の島々の海岸にシーカヤックで出掛けて砂浜を清掃しているという情熱にも直面している。いずれも都会ではほとんど発見することのなくなった精神や行動である。

 日本は工業社会での発展という明治以来の経済至上の目標を達成した途端に失墜しはじめ、いまだに回復できない状態である。再生のためには情報社会での発展という文化中心の目標に転換しなければならないが、この百数十年で画一という暴力に去勢されてしまった本土には困難な課題である。これまで社会の主流から無視され軽視されてきた離島に温存されてきた文化こそ、この方向転換の推力になると期待されるのである。




designed by BIT RANCH / DEGITAL HOLLYWOOD
produced by Y's STAFF
Copyright(c) Tsukio Yoshio All Rights Reserved.