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論文

 先週、国際連合が毎年実施している「世界幸福報告書」の2018年版が発表されました。
 この調査は2005年に27カ国を対象に予備の調査が実施され、2006年から150カ国前後を対象に本格的に実施し、3年間の平均を発表しています。
 今回発表された調査は2015年、16年、17年の3年間の平均値で順位をつけたものです。
 方法は中国の約4000人、インドの約3000人、ロシアの約2000人など例外もありますが、各国1000人くらいの国民を対象に10点満点で幸福の程度を聞き取りした調査結果と、1人あたり経済力、社会的支援の程度、健康寿命、社会の寛容さ、選択の自由、腐敗の認識という6項目の数値を組合わせて順番を付けています。

 日本で話題になっているのは、健康寿命も長く、経済大国で治安も良好に維持されていると国民が感じている日本が156カ国のうち54位と意外な順位だったことです。  
 1位のフィンランド以下、ノルウェイ、デンマーク、アイスランド、スイスなどヨーロッパの国々が上位に並んでいるのは理解できますが、コスタリカが13位、メキシコが24位、チリが25位、パナマが27位、グアテマラが30位、コロンビアが37位、ウズベキスタンが44位などと日本より上位にあることは納得できない方も多いかもしれません。

 これは国民性に依存すると考えられています。
 コスタリカ、メキシコ、グアテマラ、コロンビアなど中南米の国民は楽観的であるのに、日本人は悲観的に考える傾向にあるからではないかということです。
 実際、このような調査に関係した日本人研究者によると、コスタリカなどでは、質問した途端に10点と答える人が多いそうです。
 もう一つは調査によって順位は大きく違うということです。
 2006年に178カ国を対象に実施された「人生の満足度調査」では1位のデンマーク以下、スイス、オーストリア、アイスランド、フィンランドなど、国際連合の調査と重複していますが、日本は90位です。
 今回の国際連合の調査の責任者の1人でもあるコロンビア大学のジェフリー・サックス教授が実施した「世界幸福調査」では経済、福祉水準、平均寿命、紛争の頻度など7つの指標で評価していますが、上位はデンマーク、スイス、アイスランド、ノルウェイ、フィンランドなどヨーロッパ諸国が上位で、日本は53位です。
 さらに57カ国を対象に2011年に実施された「世界価値観調査」というアンケート調査で、非常に幸福と答えた人の比率で並べてみると、1位からメキシコ、トリニダードトバゴ、ガーナ、イギリス、コロンビアで、日本は30位です。
 国際連合開発計画(UNDP)が、経済水準、平均寿命、教育水準の3種類で評価する「人間開発指標」では、上位はやはりノルウェイ、オーストラリア、スイス、ドイツ、オランダなど西欧の国々ですが、日本は17位です。
 もう一つ、イギリスの研究機関が発表している「幸福惑星指標」は生活満足度、平均寿命、平等感覚と地球環境への影響の程度の4つの指標で計算していますが、2016年版では上位がコスタリカ、メキシコ、コロンビア、ヴァヌアツ、ベトナムで、日本は58位です。

 多くの方は日本が不当に低いと不満を抱かれると思いますが、幸福は調査の方法次第で気にすることはないということです。
 1998年に経済企画庁が138の数値を使って「新国民生活指標」を計算し、都道府県の順位を発表したことがあります。
 埼玉県が最下位になったのですが、大物知事と言われた土屋知事が猛烈に抗議されたのをはじめ、下位の府県が不満を表明しました。
 その時、山梨県が4位だったのですが、たまたま知事にお目にかかったので、おめでとうございますと言ったところ、「あれには困っている。生活に余裕があると評価され上位になったのだが、山梨は失業率が全国有数で労働時間が少ないので、生活に余裕があると解釈されてしまったのだ」と言っておられました。
 そこで当時の堺屋太一経済企画庁長官が「身長、体重、視力を足したような数字で順位をつけたのは間違いであった。国の機関の研究で誤った判断を与えないよう、都道府県別の指標は発表しない」という名言で終幕となりました。

 なぜ幸福ということが話題になってきたのかは40年以上昔に遡ります。
 1972年にブータン王国の第3代国王が崩御され、若干16歳でジグメ・シンゲ・ワンチュク国王が誕生しました。
 2011年の東日本大震災の時に日本各地を訪問され、人気のあった第5代ブータン国王の父上です。
 その第4代国王が20歳になられた1976年に「GNHはGNPよりもはるかに重要である」という宣言を発表されました。
 GNP(グロス・ナショナル・プロダクト)は国家の経済力の指標ですが、GNHはグロス・ナショナル・ハッピネスで国民の幸福の指標という意味です。
 当時は石油ショックの3年後で、世界はGNPの回復に必死の時期でしたから、この言葉の真意は理解されませんでした。
 そこで日本の新聞記者が国王に手紙で質問したところ、「人間の幸福な生活を可能にする自然環境、精神文明、文化伝統、歴史遺産なども破壊し、家族、友人、地域社会の絆までを犠牲にする経済成長は人間の生活する国家の経済成長とは言えない」という返答があったということです。

 21世紀になって紛争やテロが頻発する社会になって、ようやく世界が先見性のある哲学に気付き、学者が幸福を計算するようになったのが現状です。
 しかし、幸福は人様々ですから計算はできないし、計算して一喜一憂する対象ではないと思います。
 銀行頭取の経験もある仏教学者の井上信一氏が、幸福の程度は資産を分子に、欲望を分母にして割算した数値で示せると提言しておられます。
 西洋では分子の数値を大きくして幸福を増加させようとするが、東洋では欲望を減らして幸福を増加させる哲学があると言っておられます。
 最初に紹介した幸福指標の大半は西洋の基準で評価したものです。数字の順番などに翻弄されず、伝統の精神を見直すことが必要だと思います。





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