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論文

 年末になりましたので、今年の日本を振返ってみたいと思いますが、その特徴を一言で表せば、がっくりするような現象が頻発したということになります。
 日本の製造業や建設業は世界的にも優秀だと思われていましたが、それを裏切るような事件が次々に発生しました。

 まず東洋ゴム工業の製品の性能の偽装が1年間に2度も発生したことです。
 3月に免震装置のゴム製品の性能のデータ偽装が発覚しました。
 これは建物の基礎部分に、地震の振動を吸収して耐震性能を高める装置のデータ偽装事件です、基準の半分程度の性能しかない製品が供給されており、それらが200以上の建物に使用されていることが判明し、大地震のときに大丈夫かと騒がれました。
 さらに10月になって、おなじ東洋ゴム工業の鉄道列車の車輪の振動や船のエンジンの振動などが周囲に伝わらないようにする防振ゴムにも性能データに偽装があることが発覚しました。

 さらに大騒動になったのは、三井不動産レジデンシャルが販売した高層マンションの基礎の杭の長さが不足している問題でした。
 横浜市の高層マンションで基礎の杭が支持層といわれる固い地盤にまで届いていないことが分かり騒動になりましたが、それを発端に調査をしたところ、杭の長さが不足の建物が全国に多数あることが判明し、これも騒動になりました。

 12月になって熊本に立地する血液製剤のメーカー「化学及血清療法研究所(化血研)」が製造していた血液製剤が厚生労働省の承認した方法とは違う方法で製造していたことが判明しました。
 同じ化血研が強い毒性をもつボツリヌス毒素を熊本県に無届けで運搬していたという問題も、先週、発覚しました。

 このような製品の問題だけではなく、経営についても問題が数多く発生していますが、今年最大の事件は東芝の粉飾決算事件です。
 このような事件は、1990年代の日本長期信用銀行、山一証券、2000年代のカネボウ、比較的最近ではオリンパスが有名ですが、それらに匹敵する規模の不祥事です。

 別の種類の問題では、2020年の東京オリンピック・パラリンピック大会のエンブレムの審査も残念な事件でした。
 先週、大会の組織員会の外部調査チームが経緯を公表しましたが、広告会社から組織委員会に出向していた2人の人間の暗躍や、審査委員長までが一次審査では不明瞭な投票をしていたことが明るみに出ました。
 新国立競技場の設計についても、最初に選ばれた案が建設費用の問題で白紙になり、今週になって、ようやく別の競技設計によって、新しい案が決定し、貴重な時間を失いました。
 さらに先週明らかにされた、東京五輪大会の開催費用が当初の見積もりの6倍の1兆8000億円になるということを重ねあわせると、多くの人々が東京五輪大会を中止してほしいと考えていると思います。

 このような問題が発生する背景は様々ですが、第一は情報公開の不足だと思います。
 「トランスペアレンシー・インターナショナル」という組織が世界各国の社会の透明性を毎年評価して発表している資料によると、日本は175カ国中15位で、まずまずの社会ですが、それでも新国立競技場の最初の選定では、どのような経緯で選ばれたかが不透明でしたし、エンプレム問題では、組織委員会の森喜朗会長の「反省している」という言葉と同時に、「本当に全部を開示しなければいけないのか」という言葉もありました。さらに審査委員のうち2人は調査チームの調査に協力しなかったという内幕も発表されています。
 このような密室性が不祥事の背景にあります。

 第二は責任の取り方が曖昧になっている社会だということ思います。
 その反対の例を御紹介して、責任を取ることが重要だということを説明したいと思います。
 2005年に、松下電器産業が1985年から92年に製造した石油ファンヒーターから漏れた一酸化炭素によって2人が死亡するという事件が発生しました。
 当初は松下電器産業も無償修理で解決しようとしていましたが、5件目の事故が発生した結果、方針転換して全数回収することにし、テレビジョン放送での告知を4万2000回、チラシを6億9000万枚配布し、社員も販売実績の多かった東北地方の家庭を一軒一軒訪問するなどして、回収の努力をしました。
 それらに約250億円の費用を投入し、製造の責任者の処分もするほど責任を明確にした結果、社会の見方は好意的になりました。
 一方、今年に限りませんが、多くの不祥事では明確に責任を取るという精神が発揮されていないようです。

 もう一つの背景は、日本人の精神が劣化とは言わないまでも変化してきたことだと思います。
 それは名誉を守るという精神で、それを守れなかったことを恥とする考え方だと思います。
 新渡戸稲造博士が1890年に書いた『武士道』に興味ある言葉があります。
 日本人が明治維新で目指したことは、経済的な発展や西欧文明の導入ではなく、関税自主権も裁判権もない安政の不平等条約を締結してしまって、世界から劣等国と見下されていることを覆したいという「名誉」を守ることであった、と書かれています。
 しかし、次第にその精神が失われていることが外国からも指摘されています。
 2003年に公開されたアメリカ映画『ラストサムライ』は「主人公たちが命をかけて守ったのは、現在では忘れされつつある言葉「名誉」」というナレーションで始まりますし、今年2月に退任されたウルグアイのホセ・ムヒカ大統領は日本に好意的な方ですが、日本の放送局のインタビューで「日本人は名誉を重んじる民族であったが、現在の日本人はその精神を失っている」と痛烈な言葉を発しておられます。
 この精神の復活こそ、昨今のがっくりする日本を立て直す基本ではないかと思います。





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