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論文

 新国立競技場の計画が出直しになりましたが、幻の計画案となった競技場を設計した女性建築家ザハ・ハディドには「アンビルトの女王」という呼名があります。
 アンビルトというのは「建たなかった」という意味で、競技設計などで最優秀案となって実現するはずであったのに、様々な理由で建設されず、幻となった建物のことです。
 ハディドが設計した建物にはアンビルトが多いために、そのような名前が付いたという訳です。
 ハディドは1950年にイラクに生まれ、サダム・フセインがイラクの実権を掌握した1972年に家族とともにイラクを脱出してイギリスに渡り、1977年にロンドンの私立建築学校で建築の勉強をし、1980年に自分の設計事務所を設立しますが、なかなか仕事がありませんでした。
 1983年に香港のビクトリア・ピークの山頂に建設される高級クラブ「ピーク・レジャー・クラブ」の競技設計に応募し、審査員の一人であった日本人建築家磯崎新が強力に推薦して一等賞を獲得します。
 ようやく大きな仕事が手に入った直後にクラブの事業者が倒産してしまい、経歴の最初からアンビルトになってしまいました。
 その後も恵まれませんでしたが、1994年にドイツの地方都市の消防署が実現し、本格的な建物の最初になります。
 同じ年にウェールズの首府カーディフのオペラハウスの競技設計で一等賞になりますが、プリンス・オブ・ウェールズでもあるチャールズ皇太子が伝統的建築を復興すべきだという意見を表明されたため、競技設計がやり直しになります。
 やり直しの競技設計でもハディドの案が一等賞になり、ハディドにとっては第二号が実現するかと思われましたが、今度は建物の資金提供組織であった国営クジ公社が建設計画を中止してしまい、これもアンビルトになってしまいます。
 その後、インスブルックのスキージャンプ台、コペンハーゲンの美術館、ファッションモデルのナオミ・キャンベルのモスクワにある奇抜な住宅などが実現し、2004年には建築界のノーベル賞といわれるプリツカー賞を女性で初めて受賞、2009年には高松宮殿下記念世界文化賞を受賞するなど有名になっていきますが、今回、またアンビルトの女王の経歴が増えそうな状況になってきました。

 しかし、建築設計の世界は「千三つ」とも言われ、実現しない設計案は数多くあります。
 今回の新国立競技場の競技設計も46の案から選ばれているように、最近では公共の建物の大半は競技設計にするのが普通で、多い場合には数百の応募がありますから、千三つも必ずしも大袈裟という訳ではありません。
 しかし、競技設計の落選案でなくても実現しなかった建物は歴史上、数多く存在します。
 日本では僧侶の道鏡を寵愛して生涯独身であった女帝の第48代称徳天皇の時代に、天皇の命令で平城京の西大寺に八角形をした高さ80メートルにもなる七重塔が建設される予定でした。
 現存する日本一の高さの東寺の五重塔が55メートルですから、その壮大さが想像できます。
 しかし、道鏡を寵愛するあまり、道鏡に天皇の位を譲ろうとした道鏡事件が発覚し、幻の建造物となったと思われてきました。
 ところが昭和29年に遺構が発見され、八角形の基壇の上に四角の五重塔が存在していたことが分かりましたが、七重塔は確かに幻でした。

 幻の塔は外国にも存在します。
 1889年にパリで開かれる第4回万国博覧会のために、高さ312メートルのエッフェル塔が建造されます。
 パリに対抗意識のあったロンドンはエッフェル塔よりも高いロンドンタワーを建設しようとします。
 国会議員で新聞社と鉄道会社の経営者でもあったエドワード・ワトキン卿がエッフェル塔を設計したギュスタフ・エッフェルに設計を依頼しますが、当然のように拒否されたため、競技設計を行ない案が決定しました。
 1892年から工事が始まり、4年後に4階まで出来ましたが、お粗末なことに、その頃になって建設場所が湿地帯であることが判明して工事は中止となり、1904年には実現していた部分も取り壊され消えてしまいました。

 万国博覧会に関係した幻の計画は日本にもあります。
 皇紀2600年になる1940年に、日本は東京で第12回夏季オリンピック大会、第5回冬季オリンピック大会を札幌で開催することにし、東京オリンピックの競技場を駒沢に建設し、同時に東京の現在の晴海にあたる埋立地で国際博覧会を開くことにします。
 しかし、1937年に支那事変が勃発したため、1938年にいずれも中止になり、設計案も幻になります。

 しかし、最初からアンビルトを狙った計画案もあります。
 1960年代から70年代にロンドンの若手建築家が「アーキグラム」という集団を結成し、最初から実現することは想定しない建物計画を次々発表し、世界に新しい潮流を創り出し、そのときにアンビルトという言葉も発明しました。
 その思想に影響を受けた磯崎新は1985年に実施された東京都庁舎の競技設計で意図的に建築法規違反をして、実現しないことを前提とした案で応募します。
 この競技設定は丹下健三が当選することが確実とされていましたので、それへの反抗とともに、万一、当選してしまったら恩師に歯向かうことになるので、それを回避する巧妙な作戦だったといわれています。

 このアンビルトという概念について、磯崎新は実現しなかった自分の計画を集めた「アンビルト展」を開催し、その意図について「建築の歴史を調べると、実現しなかった計画が歴史を作っており、実現した建物は後世、それほど関心が持たれていない」という理屈を述べています。
 この説に従えば、2020年の東京オリンピック・パラリンピック大会の目玉はザハ・ハディドの幻の国立競技場になるかも知れません。





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