TOPページへ論文ページへ
論文

 情報社会をIT社会と言うことが多いのですが、最近ではICT社会と言う傾向にあります。
 インフォメーション・アンド・コミュニケーション社会、日本語では情報通信社会という意味です。
 それはコンピュータが象徴する情報処理だけではなく、情報通信も急速に進歩し、両者が一体となって新しい社会を作っているということです。
 コンピュータについて進歩の一例を紹介しますと、1985年にアメリカで「クレイ2」というスーパーコンピュータが発売されました。
 毎秒19億回の計算ができる、当時としては最高速のコンピュータで、現在の価格に換算すると約30億円の装置でした。
 一方、現在、私が自宅で使用しているPCは毎秒80億回の計算ができ、値段は20万円です。
 この30年間で価格あたりの計算回数は6万3000倍に増加したことになります。
 ただし問題は、その高性能のPCをメールのやり取り程度にしか使っていないことで、まさに「牛刀をもってニワトリを割く」状態です(笑)。

 しかし、そのような能力を駆使し、チェスや将棋で1秒間に2億手先まで読んで人間に勝ち、100万冊の書物の内容に匹敵する情報を記憶してクイズ番組で人間以上の能力を発揮するような状態にまで到達しています。
 この能力を金融分野に応用しようという動きが1990年代から大学の工学系や理学系の分野で始まるようになりました。
 例えば東京大学工学部計数工学科には「数理金融工学研究室」、東京工業大学には「イノベーションマネジメント研究科」、早稲田大学には「ファイナンス研究科」という具合です。

 さらに最近ではICT社会を象徴するように、コンピュータで高速に情報処理をするだけではなく、高速の通信機能を利用して株式売買をするという動きがでてきました。
 ビッグデータ技術を応用して過去の株価の変動と社会の様々な動向の関係を研究し、その結果をコンピュータにプログラムしておけば、コンピュータが世界の動向を把握して、どの会社の株が上がるか下がるかを瞬時に判断し、売った買ったという情報を証券取引所に送れば人間より適確な判断ができ、大儲けできるというわけです。
 当然、だれもが同じことを考えますから、最早、証券取引所では場立ちが売った買ったと手を挙げる光景は2007年頃から消滅し、コンピュータ・プログラム同士の争いになってきました。
 世界最高のクイズ番組で歴代チャンピオンに圧勝するようなプログラムが開発されている時代ですから、人間がニュースをみて売買を判断する程度では相手にならない時代になったのです。

 そこで次の勝負は如何に速く売買情報を送信できるかになります。
 実は30年程前、私も工学系の友人たちと考えたことがあり、日本から外国の証券取引所へ売買情報を送るときに、衛星通信ではなく、それより0・6秒も速い海底光ケーブルで送信すれば、他の人々よりも先に売買ができるから大儲けできると話し合っていました、
 残念ながら、仲間に金儲けに才覚のある人間が居なかったので、酒飲み話で終わってしまったことがあります。

 ところが、それを実際に始めた人々がアメリカで登場しました。
 コンピュータ・プログラムが人間の判断を介入させることなく、光ファイバー回線で次々と売買をすることをHFT(ハイ・フリーケンシー・トレーディング)、超高速取引というのですが、1秒間に数万回から数十万回の取引を自動的におこなう時代になっています。
 それを実際に行っているアメリカの投資会社「バーチュ・ファイナンシャル」は今年3月に過去5年間で負けたのは1日だけで、それは誤操作のためと発表し騒動になりました。連戦連勝なのです。

 技術はさらに進んで、コンピュータが意図的に売り買いの情報を送信すると、それが撒き餌の役割をし、一般の投資家を特定の株式の売買におびき寄せることになり、その段階で先回りしてコンピュータが売買情報を発信して大儲けする仕組も登場しています。
 そのためにはより高速の通信回線を利用できるほど有利になりますから、ついにシカゴにあるデータセンターと証券取引所に近いニュージャージー州を一直線に結ぶ光通信網を敷設して投資機関に高額で使用させる組織が登場しました。
 まさに野越え山越え、川を渡り町を横切り、一直線の光ファイバー回線を敷設したところ、AT&Tやベライゾン・コミュニケーションズなど既存の通信事業者の回線ではシカゴとニュージャージーを往復するのに15ミリ秒から17ミリ秒かかっていたのに、直線の光通信網では13ミリ秒で可能になりました。
 1ミリ秒は1000分の1秒ですから、わずか1000分の2秒から1000分の4秒短くなるだけではないかと思われるかも知れませんが、1秒に100億回程度の計算ができるコンピュータからすれば、無限といってもいい十分な時間になります。

 このようなアメリカの株取引の実態を描いたノンフィクションの書籍が今年の3月に発刊され、この10月に日本でも翻訳されました。
 弱小球団「オークランド・アスレチックス」のジェネラル・マネージャーのビリー・ビーンがビッグデータを応用した野球理論「セイバーメトリクス」を駆使して好成績を残す裏側を描いた『マネーボール』など数多くのノンフィクションの傑作を発表している作家マイケル・ルイスの『フラッシュ・ボーイズ』です。
 フラッシュは写真撮影のフラッシュと同じ閃光という意味ですが、光ファイバー回線に一瞬の閃光を送るだけで大儲けする人々という意味です。
 その最後には、一直線の光ファイバー回線よりも、4・5ミリ秒も早いマイクロ波通信を使うことを考えている人々が登場していることが暗示されています。
 まさに「時は金なり」で、それらの人々をルイスは「プレデター(捕食者)」と呼んでいますが、携帯電話から必死で売った買ったと熱中している一般の人々は捕食者のエサとなるウサギやネズミのような存在でしかないということになります。

 インド出身のハーバード大学教授で1998年にノーベル経済学賞を受賞したアルマティア・センは「経済に倫理を導入すべき」と言っていますが、フラッシュ・ボーイズに描かれる工学や数理に明るい人々が一心不乱に金儲けに奔走する姿を見ると、セン教授が指摘するように、何らかの歯止めが必要だと痛感します。





designed by BIT RANCH / DEGITAL HOLLYWOOD
produced by Y's STAFF
Copyright(c) Tsukio Yoshio All Rights Reserved.