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論文

 先週の10日から13日までの4日間、台風12号で大変な被害を受け紀伊半島南部に友人を見舞いに行ってきましたので、今日は被害の実態をご紹介したいと思います。
 すでに台風の襲来から2ヶ月以上が経過していますが、被害が甚大だと最初に実感したのが、現在でも鉄道が完全には復旧していないということです。
 行きは新幹線で新大阪まで行き、新大阪から紀勢本線に乗り換えて向かったのですが、特急は白浜までで、そこからは4駅先の周参見まで普通列車に乗り、そこから7駅先の串本までは鉄道代替バスによる連絡でした。
 そこから先は鉄道もバスも不通のため、友人に車で迎えに来てもらって、新大阪から4時間かけて古座川という町に到着しました。
 帰りは古座川から名古屋に向かったのですが、那智川の鉄橋が洪水で崩壊してしまったので、三重県に行く友人の車で新宮まで送ってもらい、そこから特急で3時間半かけて名古屋に到着しました。
 すでに2ヶ月以上が経過しても、紀伊半島南部の74kmの区間は鉄道が復旧していないという状態で、被害が甚大だということを証明しています。

 9月3日から4日に日本列島を横断した台風12号は奈良県、三重県、和歌山県にある50カ所の気象観測施設のうち半分以上の26カ所で観測史上最高の雨量を記録しており、私が訪問した古座川町という人口3200人ほどの町でも72時間で1100mmの雨が降りました。
 その結果、古座川が氾濫し、1600戸ほどの住戸のうち3分の1以上の約600戸が床上浸水でした。
 宿泊したのは古座川町が設立して、運営を外部委託している「ぼたん荘」という施設で、ここは通常の状態の川面から県道を挟んで6〜7m程度の高台にあるのですが、床上1・6mも浸水し、その跡が壁に残っており、大変な洪水であったことを記録していました。

 そこで全体を川面から見てみようと、カヌーに乗って町の主要部を下りましたが、現在の水面から10m近くある堤防が崩れて土嚢で臨時に補修されていたり、やはり10m以上ある橋桁に流木がびっしり詰まっている光景が何カ所もあり、ここでも洪水の凄まじさを目の当たりにしました。
 この古座川町は65歳以上の高齢者の比率が46%と、日本でも有数の高齢者の町で、復興も簡単ではなく、ボランティアをはじめとする支援が必要だと感じました。

 今回の台風12号による大雨の被害がもっとも大きかったのは東隣の那智勝浦町でした。
 ここは26名の方々が死亡もしくは行方不明という被害が発生した町で、世界遺産にも登録されている熊野三山神社の一つ熊野那智大社があるので、訪ねてみました。
 海岸沿いを走っている国道42号線から那智川に沿って那智大社に向かう国道43号線に入るのですが、この那智川は大雨の直後に氾濫し、そのときに撮影された写真を見ると、道路と川が一体となって激流になっていました。
 ほぼ2ヶ月が経過した現在、水は引いていますが、道路の両側には岩がゴロゴロしており、一部には自動車が乗り上げたままになっていましたし、壊れたままの民家も道路沿いにかなり残っていました。
 那智川の対岸の山肌も何カ所も土砂崩れになっており、この山中には那智48滝という名瀑があるのですが、一時は、そのいくつかが土砂崩れで消滅したと噂される程の氾濫だったそうです。

 その48滝の最初が正式には那智一の滝と呼ばれる那智大滝です。
 これは落差133mあり、一段の滝としては日本最大の落差で、華厳の滝、袋田の滝とともに、日本三名瀑に数えられています。
 ところが、大雨で滝から落下する水量が増えて滝壺の周囲の岩が周囲に押し流され、滝壺の前に設けられていた神事を執り行う「斎場」の3分の2が流失し、その横にあった朱塗りの九天門も倒壊したそうです。
 近くまで行ってみましたが、滝の上部は以前のままでしたが、滝壺の周辺は以前に眺めたときとは大きく景色が変わっていました。
 那智大社の建物のうち参拝する拝殿は無事でしたが、後ろ側にある本殿は裏山が崩壊して2mほど埋まってしまい、復旧工事が行われていました。

 この番組で4月に、三陸海岸から仙台平野にかけての一帯で、神社や仏閣の建物は敷地が慎重に選ばれてきたために、津波の被害を受けなかったものが多いという説明をしました。
 まして有史以前から自然信仰の聖地であった熊野三山は安全な場所であったはずですから、その神社が自然災害に襲われるというのは余程の大事です。
 実際、熊野那智大社の朝日宮司も「この神社に50年居るが、これほどの被害は初めてだ」と言っておられ、今回の大雨がいかに異常であったかが分かると思います。

 わずか正味2日間程の短い訪問でしたが、東日本大震災の被害と比較すると、範囲は狭いし、無くなられた方々の人数や流失した家屋の数は合計では少ないのですが、局地的には東日本大震災に匹敵する被害が出ている箇所もあります。
 しかも、過疎地域で高齢者比率の高い地域ですから、復旧には人手も資金も必要ですが、東日本大震災に隠れて報道されることが少ないため、人手も資金も十分とは言えない状態です。
 そして例年であれば参詣する人々で混雑する観光時期ですが、まったく閑散としていました。
 多くの方々は遠慮しておられるのかも知れませんが、地元の方々に伺うと、経済復興の意味も込めて、多くの観光客に来て欲しいとのことでした。
 それほど便利な場所ではありませんが、ぜひ世界遺産を見学しながら、地域を応援してあげて欲しいと思います。





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