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論文

 最近、東京駅を利用された方は色々な場所で工事が行われており、何カ所かに案内の人が立っているほど、分かりにくい状態になっていることを経験されていると思います。
 これは現在、2011年度末を目指して、丸の内側の駅舎の保存と復元工事、八重洲側の再開発工事が行われている影響です。
 実は今日12月18日は「東京駅の日」になっておりますので、東京駅についての話題を紹介させていただきたいと思います。
 今日が「東京駅の日」になっているのは、大正3(1914)年に東京駅の完成式典が行われたからです。
 日本で最初に開通した営業用の鉄道は新橋と横浜の区間29kmで、明治5(1872)年のことですから、日本の陸の玄関である東京駅が出来るまでに42年もかかっているのは不思議に思われる方も多いと思います。

 それは現在の東京駅の場所には鉄道が通っていなかったからです。
 東京を中心とした鉄道の歴史を調べてみると、1872年に新橋と横浜の区間が開通し、1889年には国営鉄道として神戸まで延長されていました。
 一方、上野から熊谷までは日本鉄道という民営の会社によって1883年に開通し、1891年には青森まで延長されていましたが、新橋と上野の間は空いたままでした。
 そこで、1888年に東京の全体計画を策定する「東京市区改正条例」が公布され、翌年に計画案が発表されたときに、新橋と上野を結ぶ鉄道の計画が立案され、途中に中央停車場を建設することが1896年の帝国議会で決定されました。
 しかし、日露戦争が始まったために工事開始は1908年になり、1910年に呉服橋に仮駅が出来たものの、東京駅は1914年に完成したという訳です。

 当時の東京駅の周辺は、八重洲口側の方が江戸時代からの繁華街で、丸の内側は野原でしたが、国家の玄関ということで、皇居の正面である丸の内側が正面になり、皇室専用の貴賓出入口が設けられ、やや後になりますが、そこから皇居前広場まで幅74mの行幸通りが作られました。
 この行幸通りの正式名称は「東京都道404号線皇居前東京停車場線」と言いますが、現在も外国の大使が日本に赴任し、天皇に信任状を捧呈する儀式に赴く場合は、東京駅丸の内の貴賓室から出発し、偽装馬車で皇居の二重橋までの1・8kmを往復しています。
 新任大使の送迎に馬車を使用しているのは、日本のほかイギリス、スペインなど数カ国のみで、大変に人気があるそうです。

 この駅舎の設計は帝国大学工科大学造家学科の最初の卒業生である辰野金吾と第10回の卒業生である葛西萬司の共同で設立した辰野葛西設計事務所が担当しました。
 通説では辰野金吾が調査のため出向いたヨーロッパで見学したアムステルダムの中央駅を参考にしたという説が有力でしたが、現在はほぼ否定されています。
 建物は3階建ての赤煉瓦造りで、上野側の北側と新橋側の南側にドームがあるというもので、南口が乗車専用、北口が降車専用でした。
 この建物は1945年の5月の空襲で屋根と内装の大部分が焼失し、さらに6月の空襲で八重洲口の建物も焼失しました。
 そこで終戦直後から修復が行われ、3階部分を取り除いて2階建てにし、ドームを丸形から台形に変更して、ほぼ最近までの建物になりました。
 これは数年後には立て替えるための応急処置と考えられていたのですが、そのままになっていたので、今回、当初の姿に戻そうという工事が始まったという訳です。
 JR東日本が発表している計画案によると、丸の内側の建物は現存の部分は保存しながら利用して当初の姿に復元し、現在は複雑な道路を通って自動車が入ってくる丸の内側の駅前広場の中央部分を歩行者専用の広場にして、そのまま行幸通りに直結する内容です。
 八重洲側は正面にある鉄道会館を撤去して広場を拡張し、その南側と北側に超高層ビルが建設される予定です。

 東京駅は一日あたりの乗客人数では、1位の「JR新宿駅」の75万人、2位の「京王線新宿駅」の72万人などに比較すると、東京では13番目の40万人程度の乗客数の駅です。
 しかし、東京駅には14面28線のプラットフォームがあり、7路線の在来鉄道と6路線の新幹線が発着している日本最大の駅です。
 さらに2013年度には東北本線と東海道本線が直通運転する予定であり、つくばエクスプレスが秋葉原から延長して東京駅の直下に乗り入れるという構想も検討されており、ますます日本の鉄道の拠点になります。

 鉄道は1950年には国鉄が30億人、私鉄が53億人の合計83億人を輸送し、自動車の15億人をはるかに超えていましたが、JRは1995年の90億人、私鉄は1991年の139億人を頂点として次第に減り始め、自動車は660億人も輸送する時代になっています。

 しかし、環境問題から鉄道も見直されるようになり、日本では新幹線の建設も進められています。
 そうなると鉄道の最大の拠点として東京駅の役割は現在以上に重要になると思います。
 空中権の売買によって捻出した約500億円と推定される費用で行われる丸の内側の駅舎の復元については「東京大空襲を記憶に留めるために耐震補強をして現状を維持するべき」という意見もありますが、新しい鉄道の時代が始まる時期に、その原点としての東京駅を復元することは望ましいのではないかと思います。





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