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論文

 3月後半に沢登りをするため、山口県と島根県の県境にある錦川の源流付近まで出かけてきました。
 まだ雪が残っている山奥で、大雨のときには川になってしまうと思われる川沿いの細い道を自動車で走り、やがて舗装も終わって砂利道になり、廃校となっている小学校の建物の横を通り、車が何とか通れる細い道になり、ついに人家もない場所まで来たと思ったら、2〜3軒の家があり、お年寄りがわさび畑で仕事をしておられる光景に出会いました。
 このような山奥で、現在、生活しておられる年配の方々が亡くなられたら、集落はどうなってしまうのかと思いましたが、これが最近の国土計画で課題として検討されるようになった「限界集落」です。
 そこで今日は、これからの日本がどのように対処していくかが問われている限界集落について考えてみたいと思います。

 限界集落という言葉は、現在、長野大学の教授である大野晃教授が高知大学教授であった時代の1991年に提唱されたもので、65歳以上の高齢者が集落全体の半分以上になり、集落の自治や冠婚葬祭などが行えなくなり、いずれは集落が消滅していくと予測される場所を示す概念です。
 それでは日本の限界集落の現状はどうかということですが、1999年には国土庁が、2005年には農林水産省が、翌年には国土交通省が調査をしています。
 農林水産省の調査は農業集落を対象にしていますが、全国に14万カ所近くある農業集落のうち、農家が10戸未満になってしまっている3万8000カ所について調査した結果、1400カ所以上が近々消滅の危機にあるとしています。
 国土交通省は過疎地域にある約6万2300の集落について調査し、限界集落が7873、10年以内に消滅する可能性のある集落が422、いずれ消滅する可能性のある集落が2219、合計2641、全体の4・2%がいずれは消滅していくという結果を発表しています。
 この数字を、より詳細に調べてみると、一層、現実が見えてきます。まず地域を都市地域と山間地域、そしてその中間の地域に分けると、山間地域では12%以上の集落が消滅の可能性があります。
 また、半島の先端や離島など、地理的に行き止まりになっている場所については37%、すなわち3分の1以上が消滅する可能性があるという結果です。

 この問題にどのように対処するかは国の重要な課題ですが、決定的な解決方法は見出されていません。
 一つの意見は、人口のわずかになってしまった山間地域の除雪、ゴミ処理、道路補修、学校維持などの業務をすることは自治体の財政が苦しくなった現在、非常に困難なので、町に移住してもらうという経済合理主義の考え方です。
 実際、東北地方では、除雪の必要な冬場だけ、町の中心部に用意した公営住宅に移住してもらうという政策を実施している自治体も登場しています。
 しかし、そこに生活している多くの人々にとって、苦労して開拓し、長年生活してきた土地を放棄することは心情的にできないし、そのような集落が無くなれば、山林が荒廃し、ゴミの不法投棄が増え、都会の人々が依存している水源が危機に陥るなどという問題にも跳ね返ってくるということになり、簡単にできることではないのです。

 第二の方法は、都会から人々が山間地域を訪れるような方策をおこなうという考え方です。
 以前ご紹介した「暮らしの複線化」という移住政策は全国各地で行われていますが、人が短期間訪れるという方策に成功した例をご紹介したいと思います。
 岩手県の北部に現在では市町村合併によって久慈市山形町になった、かつての山形村荷軽部(ニカルベ)の集落に全員65歳以上という5戸15人の人々が作ったバッタリー村という活動があります。
 バッタリーというのは沢を流れる水を利用した製粉用の石臼のことです。
 ここは炭焼きを生業とする集落だったのですが、コメづくりが始まったのが、社会ではコメ余りで減反政策が検討されはじめた1963年、電気が配電されるようになったのが1973年という現代社会からは取り残されたような集落でした。
 そこで世間がバブル経済に踊っている1985年に、人々が集まって、村に生きることとはどういうことかを議論し、山村のあり方を検討する山村文化研究所、草木染め、白樺の樹液とりなど伝統工芸を存続させる創作館、炭焼きを体験できる炭焼窯、体験に来た人が入浴する五右衛門風呂などを作り、1985年にバッタリー村を始めました。
 僕も一度、訪ねたことがありますが、なかなかの人気で、最近は年間1000人ほどが訪れています。
 この村の入口に「バッタリー村憲章」が掲げられていますが、一部をご紹介しますと「この地に住むことに誇りを持ち、都会の後を追い求めず、独自の文化を伝統の中から創造する」とあります。
 そして民俗研究家の結城登美雄さんがバッタリー村の村長の言葉を紹介しておられますが「こんな山奥の村に都会から大勢の人がやってきて、何日も泊まりながら炭焼きなどで汗を流し、ほっとした顔をして帰っていきます。都会がよほどおかしくなったのでしょうか」というわけです。

 一本の川の上流にある山村と下流にある都会は自然も文化も密接な関係にあったのですが、経済合理主義のなかで分断され、都会だけが見かけの繁栄をしているのが現状ですが、上流の山村が健全でなければ、都会は飲み水にも食べ物にも困ってしまうのです。
 岩手の詩人宮沢賢治が「都人よ/来ってわれらに交われ」と書いているように、都会で生活している全国の3分の2の人々も、自分たちの生活の原点である限界集落を維持し再生する活動を考えるべき時期にあると思います。





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