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論文

 現在、ニュージーランドの南島にあるカイコウラという漁村にいますが、今週はニュージーランドの歴史や社会をご紹介したいと思います。
 ニュージーランドの地図を見ると、表題のところに「アオテアロア」と書かれていることがありますが、これはニュージーランドのもうひとつの正式な国名です。
 ニュージーランドという島は1億年ほど前に誕生したのですが、1000年くらい前まで人間は住んでいませんでした。そして1000年ほど前、フィリピン、カリマンタン、ニューギニアなど、ポリネシア諸島の方から東南の方へ大型のカヌーに乗って人々が渡ってきたのですが、それがニュージーランドの先住民族のマオリ族です。
 そのマオリ族の伝説によると、祖先の英雄であるクペが航海しているときに、はるか彼方に長い白い雲がたなびいており、その下に陸地を発見したのですが、それがニュージーランドというわけです。
 そして長く白い雲を意味するマオリ族の言葉が「アオテアロア」ですが、現在、ニュージーランドでは英語とマオリ語が正式の国語となっており、マオリ語ではニュージーランドのことを「アオテアロア」というわけです。

 それから600年ほど経過した1642年にオランダ人のアベル・タスマンがヨーロッパ人として初めて島を発見し、さらに翌年、調査をしたヘンドリック・ブロウワーがオランダのゼーラント州に因んでオランダ語で「ノバ・ゼーランディア」と命名し、さらに1769年にイギリス人のジェームズ・クックが探検して英語で「ニュージーランド」にしたというのが国名の由来です。
 クックの探検以後、イギリスから捕鯨やオットセイ猟のために移住する人が増え、土地が必要となり、1840年に先住民のマオリ族の族長とイギリス総督との間で土地の所有に関係する有名な「ワイタンギ条約」が結ばれます。
 しかし、マオリ族には土地を売買するという概念はなく、土地の売買で問題が頻発し、1860年代にマオリ戦争が勃発します。
 結果はマオリ族が負けるのですが、イギリスも全滅させることなく共存の道を選び、現在、世界で先住民族と入植者との関係が成功している国といわれるようになりました。
 1987年には国語が英語とマオリ語となり、公共施設は二つの言葉で記され、マオリ語のテレビジョン放送もあります。

 そこで今日は現在、マオリ族がどのような状態にあるかを、今回取材した事例で紹介していきたいと思います。
 北島の北東の位置に北海道にある支笏湖と同じ程度の面積のロトルア湖がありますが、その湖畔に観光で有名なテ・プイアという公園があり、そこに「マオリ美術工芸学校」があります。
 マオリ族は文字を持たなかったので、祖先の歴史などを彫刻で記録してきました。その技術を伝承していくために作られた学校ですが、一本の丸太に数多くの人間の形を掘った彫刻があるので説明してもらったところ、一番上にある像は海を渡ってニュージーランドに到着した最初の祖先で、それ以後の各世代の代表者が彫ってある、日本で言えば家系図のような役割をする彫刻でした。
 文字を持たなかった民族は世界に数多く存在しており、オーストラリアの先住民族のアボリジニは樹皮に絵の具で祖先からの物語を描いたり、岩肌に絵の具で伝承を描いたりしており、マオリ族の彫刻も興味深いものでした。

 ニュージーランドには哺乳動物が存在せず、現在、生息している哺乳動物は1800年代にヨーロッパから移民してきた人々が持ち込んだものです。
 その中で最多の動物はヒツジで、現在では約3000万頭が放牧されて国民1人あたり7頭程度ですが、1970年代には6000万頭以上も放牧されていたヒツジ王国です。
 その結果、人間が到来した1000年以上前は島全体が氷河と森林で覆われていましたが、現在では全体の3分の1程度が牧場になっています。
 その牧場の一つである「ポリポリ牧場」を訪ねましたが、広大な草原に何千頭というヒツジが放し飼いで壮観ですが、自然保護には配慮していることがわかりました。
 その牧場に細い川が流れており、その両側に金網が張ってありました。
 ヒツジが逃げないための金網かと思ったら、ヒツジが川に入って糞尿などをばらまくと、下流の牧場に影響するし、その先の海に汚水が流れ込むのを防ぐためとのことでした。
 広大な森林を開拓してしまったことは仕方がないことだったかもしれませんが、環境を汚染しない対策は十分にしているという印象でした。

 この精神は漁業にも伝承されており、南島の漁師のイセエビ漁に同行した時、今日は何匹しか採ってはいけない日だと決められているので、それだけ採ったら終えてしまいました。
 かつては、この決まりを破った漁師は砂浜に首だけ出して埋められてしまい、満潮の時に溺れ死ぬという過酷な刑罰があったそうです。
 狩猟採集で生活している民族は自然を維持しなければ生活できないので、このような方法で自然を守ってきたのだということを実感しました。





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