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論文

 1週間後の2月14日は女性にとっても男性にとっても迷惑なバレンタインデーです。 
 昨年2月に20代から30代の独身の男女300人を相手に行われたアンケート調査で、「チョコレートを渡す習慣が無くなればいい」と答えた女性が70%、男性が50%もいたからです。
 それはともかく、このバレンタインデーは、すでに良く知られているように、古代ローマ帝国の故事に由来する行事です。
 268年から270年までの3年間、ローマ皇帝であったクラウディウス2世は兵士が結婚して故郷に妻を残していくと士気が鈍るという理由で、兵士の結婚を禁止していました。
 ところがキリスト教の司祭であったバレンタインが兵士を秘密に結婚させたところ捕らえられて処刑されてしまいました。この日が2月14日だったのです。
 もともと2月14日はユノの祭日であったので、キリスト教がローマ帝国の国教となって以後も祭日となり、恋人たちの日となったというわけです。

 この日に贈物をする習慣は欧米にもあるようですが、男性から送ってもいいし、贈物の内容も、チョコレート以外にバラや宝石を贈ってもよく、女性から男性にチョコレートのみを贈るというのは日本独特の習慣です。
 イギリスではキャドバリーというチョコレート会社が19世紀末に発売した箱入りのチョコレートがバレンタインデーの贈物に使われたことがありましたが、日本では1936年2月に、神戸のモロゾフ洋菓子店が雑誌に「バレンタインチョコレート」を宣伝したのが最初です。ただし、ほとんど反響はありませんでした。
 戦後になり、1958年2月にメリーチョコレートが伊勢丹新宿本店で「バレンタインセール」を行ったのですが、これも反響はなく、3日間で板チョコが3枚、金額にして170円の売上しかなかったという記録が残っているそうです。
 しかし、次第に業界の努力が実り、現在では2月14日前後にチョコレートの1年間の売上の4分の1に相当する500億円以上が売れる一大行事になっています。
 ちなみに2月14日が土曜か日曜に当たった年には売上が15%ほど落ちるということなので、かなりが義理チョコだということを暗示していると思います。
 そこで、さらに後押しするために、日本チョコレート・ココア協会では、2月14日を重ねて「チョコレートの日」とし、それに便乗しようとネクタイ業界は「ネクタイの日」も2月14日にしています。

 この義理チョコをもらってしまうと、男性は1ヶ月後のホワイトデーに苦労することになります。
 巷では女性に下着を贈る男性も居るようですが、これは邪道で、クッキー、マシュマロ、キャンデーを贈るのが正式のしきたりです。
 その理由は、このホワイトデーの成立の故事に由来します。1978年、名古屋市で全国飴菓子工業協同組合の全国大会が開かれたときに、売上増進のために「キャンデーを贈る日」を制定しようという決議がなされ、1980年に全国規模のキャンペーンが行われて、次第に定着してしまったのです。
 なぜ3月14日かについては、バレンタイン司祭が仲を取り持った男女が、1ヶ月後に永遠の愛を再び誓ったからだと、全国飴菓子工業協同組合は説明しています。
 しかし、なぜホワイトデーかというと、飴の材料である砂糖が白いからだということですから、衣の下の鎧は十分に透けているというわけです。
 さらに興味のある方は組合のホワイトデー委員会が制作している「ホワイトデー公 式サイト」がありますので、ご覧頂ければと思いますが、その冒頭に「ホワイトデーはキャンデーを贈る日です」と定義されています。

 2月14日のバレンタインデーと3月14日のホワイトデーは日本社会では定着しつつあるようですが、4月14日は何の日かというと、これは意外に知られていない日で「オレンジデー」なのです。
 想像がつくと思いますが、愛媛県の柑橘類生産農家が、1994年に日本記念日協会に登録した日で、バレンタインデーとホワイトデーに贈物を交換して愛を確かめ合った恋人同士がオレンジを交換して愛をさらに確たるものにする日だそうです。

 しかし、4月にはもうひとつ由緒ある贈物を交換する日があります。4月23日の「サン・ジョルディの日」です。
 サン・ジョルディは聖ゲオルギウスとも呼ばれますが、ドラゴンを退治した騎士として西洋の絵画の題材に採り上げられることの多い聖人です。
 イベリア半島のカタルーニャ地方の守護聖人ですが、303年4月23日に殉教したのでカタルーニャの祝日になっています。
 サン・ジョルディがドラゴンを倒した時、その血から真っ赤なバラが咲いたので、男性から女性に赤いバラを贈る習慣があったのですが、20世紀のフランコ独裁時代に女性から男性に本を贈る習慣が付け加えられました。
 この日はセルバンテスやシェイクスピアの命日とも重なっているので、本を贈るのには理由がつくというわけですが、さらに重要な理由がありました。
 フランコ独裁時代には、カタルーニアはスペイン語の使用を強制されていましたが、それに反発する人々がカタルーニュア地方の言葉であるカタラン語の本を贈って、いずれは独裁者を倒して独立を目指すことを誓い合ったと言われています。
 ここに目をつけた日本の広告代理店が出版業界と生花業界を巻き込んで、日本でも「サン・ジョルディの日」が1986年から始まったのです。
 本命にしろ義理にしろ、このような故事来歴を知りながら、ぜひ贈物の交換をしていただければ、それなりの意義はあると思います。





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