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論文

 いよいよ明日8月13日から29日まで17日間にわたって、第28回オリンピック競技大会がアテネで開催されますが、今日はオリンピックについての薀蓄話を紹介させていただきたいと思います。
 オリンピックは紀元前776年にギリシャのオリンポスという都市で開催され、それ以後、紀元393年まで、4年に1回、合計293回も開催されてきました。それをフランスのピエール・ド・クーベルタン男爵が1896年に復活させたのが近代オリンピック競技大会ということは、よく知られていることです。

 そこで第一の蘊蓄ですが、古代オリンピック競技では、女性は競技への参加も見物も許されず、その規則を破るとオリンポスの近くの山の崖から突き落とすという死刑になるということでした。
 そしてギリシャ市民である男子だけが全裸で競争したのですが、その理由は何故かということです。
 まず女性が参加できなかったのは、古代ギリシャは男性優位社会で、女性は家に閉じこもっているのが普通だったからだということですが、さらに男性は全裸なので、観客に女性がいると肉体の一部に変化が起こって困るからという説もあります。
 それでは何故全裸で競技をしたのかというと、女性が男装して出場するという事件があったので、裸にしたという説もあります。ボクシング競技の優勝者の娘が亡くなった夫に代わって男装で息子のコーチをしていたのですが、優勝したので興奮して飛び出してばれてしまったという事件が実際にあったそうです。
 ちなみに、この精神は近代オリンピックにも受け継がれ、1896年にアテネで開催された第1回は男性のみの参加でした。

 第二の蘊蓄は日本の金メダル獲得が期待されているマラソンです。この起源は、紀元前490年に大国ペルシャがギリシャを攻撃し、マラトンの平原でギリシャが勝ち、その知らせを一人の兵士フィリッピデスがアテネまで40kmを走り続けて到着し「ネニキカメン(われら勝てり)」と叫んで息絶えたという故事に基づいていますが、近代オリンピックでも目玉競技になっています。
 その距離は42・195キロメートルという中途半端な数字です。一般にはマラトンからアテネの城門までの距離と誤解されていますが、本当は一人の王族の我侭で決まった距離なのです。
 もともと草原を走ってきたので、正確な距離はわからなかったので、アテネ大会では40キロ、第2回のパリ大会では40・26キロ、第3回のセントルイス大会では40キロ、第4回のストックホルム大会では40・2キロなど毎回違った距離でした。
 そしてロンドンでは当初40キロメートルで準備されていたのですが、英国王室のアレキサンドラ王女が自分が見物しやすいように「スタートは王室育児室の窓の下から、ゴールは競技場のロイヤルボックスの正面にしいてほしい」と要望したので距離が延びて42・195キロメートルになり、現在に至っているのです。

 第三の蘊蓄は競技種目です。第1回のアテネでは9競技40種目でしたが、今回は28競技301種目にまで増大しています。
 その初期には様々な愉快な種目があり、「綱引」が正式種目でしたし、重量挙げでは「片手挙げ」とか、水泳では「潜水時間競争」などがありました。第2回のパリ大会と第3回のセントルイス大会は万国博覧会の余興として開催されたので、「魚釣り」「凧揚げ」「鳩撃ち」もありました。

 最後は開催前の聖火リレーです。これは古代オリンピックにはなく、1936年のベルリン大会で発明された行事です。この大会は1933年にドイツ首相になったヒットラーが国威発揚という政治目的に利用した大会として有名ですが、その宣伝の一環として聖火リレーを考え出したのです。
 オリンピアからブルガリア、ユーゴスラビア、ハンガリー、オーストリア、チェコスロバキアを経由して、ベルリンに聖火が伝達されましたが、これは数年後にヒットラーが侵略して行った国々を逆にたどったもので、色々と憶測がなされています。
 しかし、その後、聖火リレーはオリンピックに意味づけをする行事に使われています。1964年の東京オリンピックでは19歳の坂井義則さんが最後のランナーとして聖火台に点火しましたが、彼は1945年8月6日生まれ、すなわち原子爆弾が広島に投下された日が誕生日で、世界に平和を訴える役割を果たしました。
 1988年のソウル大会では、ソン・キジョンさんが最終ランナーでした。彼は1936年のベルリン大会でマラソンに優勝した選手ですが、当時の韓国は日本の植民地であったので、日本の優勝ということになっていました。その屈辱を52年ぶりに晴らしたのです。
 2000年のシドニー大会では女子400メートル競走に優勝したキャシー・フリーマンさんが最終ランナーでしたが、彼女はオーストラリアの先住民族のアボリジニの出身で、民族問題の解決に向けてのオーストラリアのメッセージを伝える形になりました。

 クーベルタン男爵は「オリンピックは勝つことではなく参加することに、また成功することではなく努力することに価値がある」という名言を残していますが、このような歴史や背景も思い出しながら日本選手を応援していただくと、一層楽しめるのではないかと思います。





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