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論文

 先週、天塩川という日本で4番目に長い川をカヌーで下ってきたのですが、この流域でカヌーをしている人達が、流域の13市町村を「天塩国」と名付けて一緒に活動し、「天塩川新聞」まで発行しているのです。遊んでいるようですが、これには重要な意味があります。
 現在、全国的に市町村合併が進んでいますが、これは人為的に区画された市町村がお互いに近所にあるから一緒になろうという発想で進められているものが大半です。
 確かに交通手段が発展し、ITも普及してくれば、かつては一体の行政が困難であった地域が一緒になることは意味があります。また、日本の地方自治体全体で200兆円近い長期債務残高という借金があり、これを返却するためには自治体の規模を拡大して運営の効率を向上させることも重要です。
 しかし、近ければいいということでもないと思います。例えば、木曽山脈の東側には長野県飯田市、西側には岐阜県中津川市があります。ここは2000メートル以上の山で遮られていましたから、長年、交流はありませんでした。しかし、1975年に恵那山トンネルが完成して、お互いに10分も車を運転すれば行き来できるようになったのですが、一体になれるかといえば、長年にわたり、山脈の両側では自然も違うし、文化も違うから困難です。

 ところが反対の例もあります。「森は海の恋人」というキャッチフレーズで有名な植林活動をしている宮城県唐桑町と、その実際に植林をしている山のある岩手県室根村は県が違うため、合併という話はないのですが、室根村を源流とする大川という川は唐桑湾に注いでいるので密接な関係があります。
 このように現在の市町村合併の基礎となっている行政圏域は人為的なものであって、実際の生活とは一致しない部分があるということです。

 そこで「生命圏域」という概念で、新しい圏域を構成したらどうかという発想が注目されるようになりつつあります。
 英語で「バイオ・リージョン」というのですが、気象や土壌などの自然条件や、植物や動物の棲息状況、文化や習慣などの社会条件が共通の地域を一体にしようという発想です。
 例えば、山梨県の甲府盆地や山形県の新庄盆地などの盆地は、山に取り囲まれて外部との交流が少なく、一体の地域としても違和感がないと思います。
 また、北海道の羊蹄山の周囲には倶知安町、京極町、真狩村、ニセコ町などがあります。例えば倶知安町と真狩村は山の反対側にあるので関係なさそうですが、羊蹄山に積もった雪が地下水となって湧き出しているということで、共通の自然条件を備えています。
 日本百名水にも選ばれた「羊蹄のふきだし」といわれる名水を守ろうとすれば、周囲の市町村が一致協力する必要があります。
 こういう地域が生命圏域なのです。

 それらのなかで最大の生命圏域が一本の川の流域です。現在、日本には国際河川はありませんので、複数の国を流れる川はありませんが、北上川のように岩手県と宮城県を流れる川や、長野県と新潟県を流れる信濃川など、複数の県を通過する川は何本もありますし、大抵の川は複数の市町村を通過していきます。
 それらの市町村は一本の川を輪切りにしたように配置されていますから、上流の人は下流を気にしないし、下流の人も上流を気にしないのですが、上流で川を汚せば下流が迷惑するし、下流にダムを作れば上流が影響を受けるということになります。
 三重県に日本で毎年清流の一位か二位になる宮川という一級河川がありますが、行政圏域では14市町村が輪切りで関係しているために、そのような問題が発生するということで、平成12年から宮川流域ルネサンス協議会を結成して、上流、中流、下流が一体となって宮川の自然や文化を維持していこうと活動しています。

 天塩川も13の市町村を通過していくだけではなく、北海道独自の行政圏域である支庁でも、上川支庁、留萌支庁、宗谷支庁と3つの支庁に関係しています。市町村が違うというだけではなく、支庁まで違うと役所も住民も相互のことを考えないということになり、実際に天塩川では途中の河川改修のために、河口で獲れる有名な天塩のシジミが不漁になったりしています。
 そこで、天塩川の上流から下流までカヌーで行き来している人達が中心になって、一本の川を中心にして、一つの圏域を構成しようというのが「天塩国」なのです。
 市町村合併を利便とか効率という目先のことだけで考えるのではなく、環境とか文化とか生活という視点から考える生命圏域からも検討してはどうかと思います。





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