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論文

 スティーブン・スピルバーグ監督の新作『A.I.』は、もともと『2001年宇宙の旅』を制作したスタンリー・キューブリック監督が映画にしたいと70年代から準備していた作品ですが、一昨年、亡くなったので、スピルバーグ監督が引き取って実現した作品です。
 そのテーマはともかく、映画としては退屈な作品だと思いました。実際、アメリカでの評価もスピルバーグの作品としては最低で、キューブリックの『2001年宇宙の旅』と『E.T.』を足して2で割ったような映画という批評もありますし、興行収入も芳しくなく、アメリカでは上映最初の週の6月末こそトップでしたが、4週目の7月末にはベストテンからも落ちてしまいました。日本でも先週の興行成績は7位と不振です。
 今日はこの映画の題名にもなっている「AI」を二週間にわたって話題にしたいと思います。

 AIは「Artificial Intelligence」の略語で、日本語では「人工知能」と訳しています。
 生物は自分の子孫を残したいという本能があるのですが、とりわけ人間はその意思が強力で、ロボットというのは古代から関心の対象でした。記録が残っている最初のロボットは紀元前のものです。アレキサンドリアで活躍した技術者ヘロンは三角形の面積を計算するヘロンの公式で歴史に名前を残していますが、自動人形芝居も発明しています。舞台に神殿が現れ、神様の杖からミルクがこぼれ、ドラムとシンバルの音とともに乙女が踊るという芝居が、錘の上下を動力とする自動装置で上演されたといわれています。現在ではディズニーランドやユニバーサルスタジオに行けば、はるかに高度な人形が芝居をしていますが、今から2000年前のことですから驚きです。

 18世紀になると時計の技術が進歩しますが、その機械仕掛けを利用した「アヒル」や「サイン人形」も発明されています。「アヒル」は実物が残っていないので正確には分からないのですが、フランスの『百科全書』には「水を飲み、穀物をついばみ、ガアガア鳴き、水をはねとばして泳ぎ、食べ物を消化して排泄し、生きている動物と同じようである」と書かれています。
 「サイン人形」はスイスのヌーシャテルという町の博物館に実物が残っていますが、1メートルほどの背丈の機械人形で、ぜんまいを巻くと、羽根ペンをインク壷に入れ、紙の上に文字を書いたり、絵を描いたりします。

 日本にも機巧(カラクリ)人形の伝統があり、山車(ダシ)のうえで踊ったり曲芸をする人形をご覧になったことがあると思います。また、江戸時代には茶運人形が流行しました。背丈50センチメートルくらいの人形の両手にお茶の入った茶碗を載せると畳の上を進んで客のところまで行き、飲み終わった茶碗を再度、両手の上に載せると主人のところまで戻ってくるという仕掛けです。

 これらはすべて、あらかじめ決められた動作を歯車の組み合わせによって実行しているだけで、身体はできたけれども頭脳がないという機械です。当然ですが、頭脳も人間の手で創りたいという欲望もあり、それが人工知能(AI)というわけです。

 この人工知能への願望も古代から根強く、世界各地の伝説や民話にも出てきますが、現実の人工知能の研究がはじまったのは20世紀の中頃です。1946年に世界最初の電子計算機といわれる「ENIAC」が開発されていますが、すでに、その時代から人工知能を研究するという発想がありました。
 大きな契機になったのは1956年にアメリカのダートマスという場所で1ヶ月間にわたりコンピュータの将来についての会議が開催され、そこで取り上げられたことです。
 当時のコンピュータは、すべて0と1でプログラムを作成し、それを入力すると、その指令のとおりに計算するだけという機械でした。しかし、コンピュータを自由に利用できるためには、人間の言葉を理解し、指令にないことでも推測してくれるような能力が必要で、そういう能力を開発しようというのが人工知能というわけです。

 それでは機械が人工知能をもつとはどういう状態かということになりますが、有名な「チューリング・テスト」という判定方法があります。イギリスのアラン・チューリングという天才的数学者が1950年に提案したものですが、カーテンで半分に仕切った部屋があり、こちら側には人間が居るのですが、むこう側には人間が居るのか機械があるのか分からない状態とします。
 人間がカーテン越しに色々な質問をして、その質問にカーテンのむこう側から返事がきます。その返事を聞いて人間が答えているに違いないと思ってカーテンを開けてみたら、なんとそこにはコンピュータしかなかったとしたら、そのコンピュータは人工知能を獲得したと判定するというわけです。
 巧妙な判定方法ですが、それではこういう場合はどうだという反論がでてきました。「中国語の部屋」という反論で、ジョン・サールという哲学者が提案したものです。
 英語しか理解できない人に英語と中国語を変換する規則集だけを渡しておき、中国語の質問を手渡します。その人は規則集を駆使して、中国語を英語に翻訳して質問の意味を理解し、英語で考えた回答を再び規則集だけを使って中国語に変換します。それを質問した人に渡すと、一見、中国語の達人のようですが、その人は中国語をまったく理解していないのです。人工知能とはその程度のものだというわけです。

 さらに強烈な実験で反論した学者がいます。アメリカのマサチュッセッツ工科大学のジョセフ・ワイゼンバウム教授が1960年代中頃に作った「イライザ」というプグラムです。
 イライザというのは、オードリー・ヘップバーンの主演の映画で有名な『マイフェアレディ』の原作である、バーナード・ショウの劇『ピグマリオン』の主人公イライザ・ドゥーリトルの名前をとったものですが、一種のサイコセラピストの役割をするプログラムです。
 会話の例をご紹介しましょう。
人間:男っていつもあれをしろ、これをしろってうるさくてしょうがないの。
イライザ:何か特別の例をあげてください。
人間:ボーイフレンドがここに来るようにいったの。
イライザ:ボーイフレンドがあなたをここに来させたのですね。
人間:彼は私がいつもふさぎこんでるって言うんです。
イライザ:ふさぎこんでいるとは、お気の毒に思います。
人間:本当です。私は幸福ではありません。
オライザ:ここに来ることによって不幸から逃れるための助けが得られると思いますか?
人間:助けが必要なのは確かです。
イライザ:助けは、あなたにとってどういう意味がありますか?
人間:多分、母との折り合いがよくなると思います。
イライザ:お母さんのほかに、誰があなたの面倒をみるのですか?
人間:父です。
エライザ:お父さん。

 一見、意味のある会話のようですが、コンピュータは人間の言葉の私という単語をあなたに変えてオウム返しに言っているだけです。しかし、多くの人間は本物の人間を相手にしている気分になったといいます。
 ワイゼンバウム教授の秘書は、このプログラムを作成する過程を知っているのですが、何度も相手をしているうちに感情移入して、教授が、イライザは単なるプログラムだと言ったときには、泣いて抗議したという有名な話もあります。
 今週は人工知能とは一体何かということは大変難しい問題だということをご理解いただきましたが、実際には最先端で何が起こっているかを次回にお話したいと思います。





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